2010年2月4日木曜日

鶏頭論争に寄せて。

  
鶏頭論争、は、いわずとしれた正岡子規「鶏頭の十四五本もありぬべし」が名句かどうか、をめぐる論争である。

虚子、碧梧桐らはこの句が出された当時の句会に出席していたが評価せず、没後の子規句集にも選定しなかった。そのままいけば「鶏頭」句は世に出ず、一部の子規研究者の間でのみ知られるレア句に止まったであろう。
ところが、長塚節、斎藤茂吉らの再評価を発端に、志摩芳次郎の否定論があり、一時は『俳句研究』がアンケート調査を実施。斎藤玄らが否定派、 山口誓子、西東三鬼、山本健吉らが肯定派にまわって論争になった、のだそうである。
(「現代俳句辞典」『俳句』昭和52年9月臨時増刊号を参考にして要約)

志摩芳次郎が「花見客十四五人は居りぬべし」など類想句と差がない、と否定したのに対して、
誓子はこの句を、病床の子規が「自己の生の深処に触れた」云々と、例の格調高い文体で激賞し、
山本はさすがに誓子調を「あまりに病者の鑑賞にもたれすぎている」と斥けつつも、「死病の床にあってなお生きよう・・・と願うたくましい意志」と、やはり病床で詠まれたことを前提にして、その写生の確かさを讃えている。

これは直接口頭で伺ったことであるが、現在、ホトトギス主宰の稲畑汀子氏もこの句を写生句としてすぐれていると認めておられた。ほかのホトトギス系俳人の方は知らないが、爾来、この句の評価は、おおむね山本説になびきつつ定まってきたのであり、たしか小学校や中学校の教科書などでも子規の代表句として当該句を挙げていたと記憶する。

鶏頭論争が近ごろ何度目かの日の目を浴びたのは、坪内稔典氏が『船団』81号に寄せた連載「俳句五百年」の第七回「鶏頭の句は駄作」がきっかけである。
坪内氏は、子規の代表句は「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」であり、これは芭蕉「古池や」、蕪村「菜の花や」とならぶ、三大名句である、という。(選んだのは坪内氏自身)
坪内氏は、この句が、明治三十三年九月九日の句会でほとんど注目されなかったことなどを指摘し、「鶏頭」の句が、三大名句とは違って、「作者を文脈に入れて読まれているのではないだろうか」と批判、作者名を消して読み直せばこの句は「駄句」だろう、と結論づける。

俳句は作者を抜きにして詠まれてきた。定型や季語の働き、表現のさまざまな技法などが一体化して一句の素晴らしさを作り出す。作者はその表現の力を生み出す創作の主体ではあるが、決して表に現れない。それが俳句の伝統だ。

これに反応したのが、まず、高柳克弘氏の時評「現代俳句の挑戦」俳句』2010.01号。高柳克弘氏は、坪内論を引用しつつ、俳句が作者の情報を抜きに表現のみを対象として論じられるべき、という、従来の主張を展開。作者の置かれた状況を無視した句は誤読かもしれないが、誤読を許容しない俳句に賛成できない、といった論調で議論している。

これを取り上げたのが、今度は高山れおな氏―俳句空間―豈weekly: 鶏頭論争もちょっとで、高柳論が

作品から「作者の思い」を読み取らなくてはならないという、俳句の読みの常識は、更新されるべき時期に来ていると思う。

と大胆に提言しながら「作者の思い」「作者の意図」とを同一視して斥けてしまっているという、用語の不用意さに軽く釘を刺しつつ、

私は髙柳氏がこの文章で述べている考えに全体として不賛成なので、つまり私もそのうちリセットされちゃうのね、とそんなことを思いました。

と述べる。その上で高柳論の根拠となった坪内論を批判を展開しており、「鶏頭」句が、当時子規が詠んだ鶏頭詠のなかでも独立して読まれているのはまさにその表現に依るのではないか、と問題提起しながら、

現に他とは格段に異なる強さで子規の人生をおのれに引き寄せ、時に過剰なまでの読みを誘発する力をこの句が持っている以上、この句を名句と呼ぶに躊躇う理由はないのではないでしょうか。

と稿を結んでいる。(実際に高山氏が指摘する問題点はさらに多岐にわたる)

で、そこに加わったのが、先日触れた、―俳句空間―豈weekly: 鶏頭論争もちょっと、にちょっと・・・山口優夢であった。

実際のところ、ここまでくだくだ述べてきたのは、ことの経緯のまとめのためであって、個人的にはこの句が「名句」であるかどうか、は、どうでもいい(ヲイ)。だから、これで稿を終えても良いのだが、実は山口論は鶏頭論争を超えて、いささか奇妙な(それゆえに興味深い)方向性へ発展している。つまり、「世代論」を経由して「作者にとって主体とは何か」という今日的、といって語弊があれば今日でも問題になっている話題、に発展し、たとえば田島健一氏、さいばら天気氏などが批判的に反応している。
 →「主体という領域 ~相対性俳句論(断片)」http://moon.ap.teacup.com/tajima/996.html
 →「物語を欲しがる君たちへ」
http://tenki00.exblog.jp/10728023/



正直、そちらのほうが興味深いのだが、いずれ別稿を期すことにして現代の「鶏頭論争」が抱えている問題系(最近覚えた理論用語w)に言及しておこう。(ちなみにかつての「鶏頭論争」は、写生をどう捉えるか、といった問題が重視されていたそうだ)

「作者の情報、つまり、作句の経緯や、作者の置かれた状況などを、抜きにしても句は論じられるのかどうか。」という、つまりは鑑賞側に終始した議論である。

結論から言えば私の意見は優夢氏の提示する「折衷案」とほとんど一緒である。要約すれば、

  • 鑑賞する際に「作者名」は必然的に付随してくる。そのとき「作者名」から一歩進んだ外部情報を参照するかどうか、は、外部情報を読んでからでないと判断できない。

  • 外部情報を参照したほうがよく読めるかどうか、は、ケースバイケース。表現だけで楽しみたいときは、できるだけ外部情報を忘れるよう、努力する。

  • 「鶏頭」句は、「鶏頭」の群立を「十四五本」と把握した一番手柄であるという表現上の功績があり、評価していい。(花見客~よりはピントが絞られていて、単純に併置しても鶏頭句のほうがよくできているだろう)

ということにすぎない。さらに付け加えれば、

  • 子規が当時病床にあったことを付加して、鶏頭の鮮やかさをより際だたせる読みが、一枚上の「精読」として用意されていたとしても、それはそれで、構わない。

つまり、「三大名句」に入らないからといって、「駄句」まで言わなくも。>坪内先生(^^;。 
といったところ、である。

要するに、どちらがよりよく俳句を読めるか、である。
高柳氏は、外部情報を抜きにして誤読も怖れない、といった、一歩間違えると一昔前のテクスト狂信者のような勢いで、山口氏に茶化されているが、山口氏にも問題があって、許容される「誤読」の範囲内、ということについては、かつて私も考えたことがある。
 →曾呂利亭雑記: 「俳句を読む」 ~真銅著をうけて~

結論を繰り返せば、誤読の許容範囲、は、コンテクスト(文脈)を無視しない程度、ということに尽きるだろう。そして、実際のところ大事なのは、その場の「コンテクストの範囲」なのである。

たとえば「句会のコンテクスト」においては、出される作品は少なくとも「俳句」であり、基本的には「季語の働き」「五七五」などのルールに沿って読まれることが期待されている。
坪内氏が言うように、この句が当時の句会で無視されたとしても、それは「句会のコンテクスト」においてその程度の評価だった、ということである。それが、句会出席者の限界なのか、句会というシステムの限界なのかはわからない。
とはいえ、坪内氏がいうように「句会のコンテクスト」には「作者の情報」はほとんどなく、その意味では「表現」だけに近い勝負であり、その場で「鶏頭」句が「ナシ」という判定だった、という厳然たる事実は残る。ことさら努力せずにこのような鑑賞システムを有している俳句は、確かに他の文芸とは別に論じられるべきなのである。

しかし、実際に我々は句会を離れた場でも俳句を発表するし、また鑑賞するのである。
当たり前の事実として、我々は、「鶏頭」句を句会の場で見たわけではない。時間軸の離れた我々がこの句を鑑賞できるのは、この句を残した資料があり更にこの句を選定し、印刷した句集がある、からだ。つまり、作者でなくとも誰かが残そうと思わなければ、句は残らない。
句集という形で読む以上、我々は「作者名」を消して読むことは不可能であり、また句集を編んだ「作者」または「編者」の意図を無視することも、不可能に近い。「できるだけ努力して」表現に即して読むことはできるが、それでも「正岡子規」という巨大なネームバリューの伝記的存在感を消すのは、非常に困難である。

そして、時間軸を離れた我々が、句集という形で鑑賞する以上、(程度の問題はあるが)作者の歴史的なコンテクストを外すのは、困難を超えてたぶん反則である。従って、我々が子規を読むとき、そこに「電話越しの会話」を想定するのは、残念ながら「誤読」と斥けていい。

「句会」は外部情報のない、純粋(に近い)「読む」行為を保証する。だが、そうした「純粋な読み」だけが「読む」ことなのだとしたら、何のために「句集」は存在するのだろうか。
俳句が「純粋な読み」のためだけに存在し、「句会」が「純粋な読み」を可能にする場として成立しているなら、、、それなら、俳句を句会から外して読むことを許してはいけない。句会において即興で生まれ、その場で消える、泡沫的な存在であるべきだ。つまり、活字資料としての「句集」に、存在価値はない。そうではない、と思う。
すでに何度か考えてきたとおり、すでに芭蕉の時代から、俳句は一方で「読まれる」文芸でもあった。

「句会」というシステムで表現を鍛え上げてきた「俳句」は強い。
しかし、だからといって活字文化としての「俳句」を捨てる必要はない。
外部情報を摂取して、より能動的に「読む」行為に耐えうる「表現」だって、「俳句」には許されているはずなのだ。


以上の話題はすべて鑑賞側に終始している。
俳句批評の難しさは、批評者が同時に実作者であり、ときに作家の実作を認めさせるために他の人の批評を(戦略的に)書くが多い、ことに拠る。従って、先日その通弊を開き直って認めた上に極めて話題性に富む好論をものした山口優夢氏の力業には心から敬意を表しつつも、本稿はここで筆を擱くことにする。

 

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