2010年6月2日水曜日

季語

  
朝日新聞5/31に掲載された、高山れおな氏の「俳壇時評」で、坪内さんの桑原武夫賞受賞に触れられている。


坪内稔典の『モーロク俳句ますます盛ん―俳句百年の遊び―』(岩波書店)が、桑原武夫学芸賞に決まったそうだ。重厚な評論集のひょうげた書名は、坪内の屈折した俳句観を汲んだ版元の提案らしい。しかし屈折と言えば、現存俳人中、俳句に最も粉骨してきたうちの一人に、史上、俳句を最も効果的に侮辱した人物の名を冠した賞が贈られる事態以上の屈折もあるまい。
確かに、俳句の評論集に対して、"第二芸術論”の著者の名を冠した賞が授与されるという光景は一見とても奇妙だ。
ところがその奇妙さを乗り越えて、桑原の名を肯定してもいい、という立場に、現在の坪内稔典がいる。
この事態を「屈折」と捉えてしまうこと自体、坪内さんの立場と高山さんの立場(立ち位置)との、決定的な距離を示しているようだ。


 
そういえば、先日当blogで紹介した、山本純子さんのエッセイ。なんとなく続けて発表されるのかと思っていたら、よく読むと次回掲載は8月の予定で、全4回、四季のエッセイということらしい。失礼しました、訂正します。
それにしても随分気の長い企画。もう少し続けて読みたかったのに。



角川『俳句』6月号を購入。
もちろん目当ては、榮猿丸氏(「澤」)×大谷弘至氏(「櫂」)×鴇田智哉氏(「雲」)×関悦史氏(「豈」)の季語に関する対談「若手俳人の季語意識― 季語の音調と呪縛」。

四人それぞれが季語の使い方にとても意識的であり、それぞれ立ち位置が違っているのが興味深い。季語をめぐる議論はうんざりするほどたくさんあるが、敢えてこのような違いを表面化させるような議論はちょっと珍しいかもしれない。

以下、自解・他解とりまぜて、それぞれの立ち位置を端的に示す部分を抄出。()内は発言者の名前。


榮猿丸氏について

(関<テレビ画面端に時刻や春愁>となると、<テレビ画面端に時刻や>まではどういう情感をもって接していいか読者がわからない。そこを季語の<春愁>が情感を決定させている。そういう使い方が多い気がするのです。
(榮)季語の取り合わせということで言えば、二物衝撃で、季語とモチーフをぶつけたところに詩を生ませるみたいなやり方がありますが、僕はそういう作り方はしていない。モチーフが生きる季語を探してきます。

(榮)じつは僕も、季語が入らなくなってしまうのではないかと思った時期がありました。……ファミリーレストランのサラダ・バーにある蕪サラダのほうがリアルだとか(笑)。でも、それだと拡がりがないんですよね。季語は偉大なる引用であると同時につねに具体性を失わない。その力にあるとき気づいた。それからは季語なしの句は考えられない。

(榮)歳時記という文化的なコンセンサスや伝統的な価値観のような「大きな物語」が現代において有効かという問題もあるけれど、僕は自分なりの「小さな物語」としての季語を見出して詠むことで、逆に季語に現代の情感を付与できるんじゃないかと思ってます。

(榮)季語の異称、例えば「蓑虫」を「鬼の子」と言い換えるのも好きじゃないですね。
(鴇田)猿丸さんの句に凝った季語が出てくると、ちぐはぐで変な感じがするかもしれない。


鴇田智哉氏について
無季俳句について
(鴇田)できあがった自分の句を見てみると、一句の中で季語が一つの重心になっている。……季語が入ることで、自分の句は俳句として読み得るものになっている、これが、季語に寄りかかっているということです。……季語を使うことで、自分は楽をしているのではないか。
(関)俳句は作らずに現代詩と横並びで俳句を読んでいる人にとっては、季語があろうがなかろうが鴇田さんの世界ということで読めると思うのですが、実作者が読むときはどうしても季語が入っているということで安心するところもあるでしょう。

(鴇田)僕の句は、季語そのものを展開した、一物の句が多いんです。<梟のこゑのうつむきかけてをり>は季語自体が詠まれるべき対象であって、梟とはこういうものだろうという独断です。……世の中には、歳時記を開いて、まだ自分が使ったことのない季語に挑戦!とか、そういう楽しみ方で作る人もいる。でも、自分はそうなれない。その季語に興味がないのにあるフリをするのはおかしいし、逆に、季語以外のものに興味をもったときにそれを中心にして俳句を作ってはいけないというのもおかしい。

(関)今の例だと鴇田さんと季語のかかわり方が非常に特異な感じがしますね。……季語の中から自分の世界観なり世界感覚に合致し、何か反応するものを見つけて作るということですか。
(鴇田)そういう作り方です。

(榮)無季の物足りなさはなかったですか。
(鴇田)できあがった句を改めて見直すと、やはり物足りないと思う部分はあります。でも、その物足りなさの一端は、「有季」という眼鏡を自分が掛け慣れていることにもよると思うんです。


大谷弘至氏について

(大谷)俳句の上では季語がもっとも雄弁な言葉ですから、それにいかに語らせるか。それが重要です。
(関)クラシックに多いのですが、同じ作品を各演奏家がどう解釈するか。解釈の違いを出すために季語が楽譜のようにあるということですか。
(大谷)そうですね。そこで創造性を競うのが俳句ではないか。僕にとっての季語は識者にとっての楽譜のようなもの。

(大谷)鴇田さんは季語を外す方向へ向かわれましたが、逆に僕は季語を重ねていくことで、それまでの一つの季語で作っていくことに対する慣れや寄りかかりみたいなものを超えていこうと試みています。

(榮)大谷さんの句は季語の持つ美意識で成り立っている感じだよね。
(関)まさに写生の逆で、季語が重要であり、積み重ねてきた美しいものを普遍化していこうとする。
(関)古季語、新季語の探求と一脈通じるところがあると思うのです。季語という制度から外れず、その中でマニエリスティックになっていくのではないか。細部への拘りが世界全体の予定調和性を崩すというか。

(大谷)<眠たげな鹿の子を神は使はせし>は宮島に対する挨拶という気持ちで作った句です。現実というものがあって、自分というものがあって、その間で通う部分で作っているのかもしれませんね。
(鴇田)例えば宮島に行ったときに、目とか、耳とか、肌で感じたことがもとになっているのですか。
(大谷)もとにはなっています。このとき、鹿は大量にいましたが、鹿の子がいた記憶はあまりないのですが、句としてはこう作りました。
(鴇田)まわりに観光客がいくらたくさんいようが、自分は純粋な風景をじっと見つめるというか、想念するというか、そういう感じでしょうか。


関悦史氏について

(関<人類に空爆のある雑煮かな><存在と時間と麦の黒穂かな>とかがそうですが、人のスケールを超えた、ほとんど抽象的な時間の事象を詠もうとしたときに、季語を入れるとそれが身近なスケールのものにまでくっついてくる。具体性を持たせるため、身近なところ、個人的なところに引き下ろすために季語を使っているなということに今回、気がつきました。

(関)私が無季俳句ばかり作っていたころ、邪魔だったのはそこで、歳時記的な宇宙観、世界観を飲み込んでしまうと、虚子が「極楽の文学」とか言ってますけど、徹底的に暗い、否定的な句は詠めなくされちゃうんです。どこかで客観視されるというか。

(関)それぞれ自分なりの季語の新たな使い方をしようとしたら、何百句か作って、自分の句はこういう特質であるというのを踏まえて、そこから自分の固有性に立って普遍性に通じる回路を、季語なら季語を使ってやっていかなければならないだろうということです。

(関<地下道を蒲団引きずる男かな>も現物を見ているな。
(鴇田)<蒲団>がリアルですね。ただこの句、<蒲団>を季語と解釈していいのかどうか。
(榮)いや、<蒲団>の本意は逆にこっちのほうが有るんじゃないかという気がするね。現代のぬくぬくした部屋の中の蒲団を詠んでも、むしろ季感がない気がする。
(関)私の場合、これは受動的な特質が先に立ってるからあまり目立たないが、句の材料を拾いにどこかに見に行くわけじゃなくて、強制的に入ってきた素材に関しては外で見たのが入ってますね。
(関)これの場合、季語が入っていることがある種救いになっている。「蒲団」の本意を更新したと読んでくれたり。これ、季語なしの一行詩だったら悲惨過ぎて見られない。


やはり関さんの的確な分析、把握に教えられることが多い。
それ以外にも、四者四様の季語の用い方が、それぞれとても意識的であるのが興味深く、今後、季語を議論する際にこういった違い、温度差、があることにどこまで意識的になれるかはひとつ、試金石になりうるだろう。

ただ、私の立場としては、大谷氏や榮氏のような季語への一体化は、同調できない部分が多い。

榮氏は季語を現代から読みかえることに意識的だが、それではなぜ「蕪サラダ」から意識を拡げようと思わないのだろうか?

また、大谷氏のような在り方は、対談中でも「息抜きのできる場所のない、けっこう厳しい作業」と評されていたが、なぜここまで「季語」を信頼することができるのだろう?
季語とは多分に「ひとりのおっさんが好きに決めた部分」があるというのに(下記参考)。
むしろ、季語も使いうる「ことば」のひとつであり、「使えば便利」程度に考える、鴇田氏や関氏の態度に共感を覚えた。


参考。週刊俳句 Haiku Weekly:【俳句関連書を読む】西村睦子『「正月」のない歳時記』…上田信治


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