2010年10月12日火曜日

ジャーナリズムとアンソロジーと


最近読んで、殊に面白かった記事をご紹介。

以前紹介した、湊圭史さんの新しいHP、
s/c で、川柳誌『バックストローク』50句選 が公開されている。
川柳誌『バックストローク』50句選&鑑賞(1)
川柳誌『バックストローク』50句選&鑑賞(2)

『現代詩手帖』の短歌・俳句の100選にあわせて始められた企画で、blogでずっと「予備動作」を公開されていたが、待望の「本選」が公開されたことになる。「予備動作」の句群の厖大さも圧巻で、これだけの句群に目を通しアップされている労力は大変だっただろうと思うが、そのうえ「本選」は湊さんの鑑賞文付きであり、川柳不案内の読者(ワタクシ)にとっては非常にお得感がある。
アンソロジーというのはどんなものでもジャンルの入門として期待される面があると思うが、(1)の冒頭に置かれた湊さんの巻頭言ではしっかりとそのことが意識されている。

一般的に言っても、短詩型の雑誌は同ジャンルにすでに参加しているもの以外には、非常にとっつきにくいものである。たいていは最初から句や歌が羅列されていて、発行しているものにその意識はなくとも、慣れないものを拒絶する体裁をとっている。この点、『バックストローク』も例外ではない。現代川柳になじみのない読者でも、少なくとも何らかの表現に高い意識をもつ人たちに開かれてゆく道すじはないものだろうか?
そこで、私は川柳ジャンルになじみのない読者にも面白さ(少なくとも、私が感じている面白さ)の核が伝わるように、毎号500句以上、累計推定で15000句(500×30の単純計算で)の掲載句から50句を絞り込んで、鑑賞を書いてみることにした。ここを手がかりに、『バックストローク』、そして広く現代川柳の作品に興味をもっていただけたらありがたい。

まだすべてを精読できていないのだが、それでも確実に先入観として持っていた「川柳イメージ」は崩れてしまった。
鶴彬とか時実新子とか、私でも知っている名前から漠然と想像していた現代川柳は、俳句よりも明確なメッセージ性を持ったものだった。しかし、ここ数年、湊さんのHPなどで紹介してもらった川柳はもっと多元的であり、わかりやすいメッセージ性をもっているものと、意識的にイメージを拡散させるもの、重層化させていくもの、とが混在しているようである。
私は現代俳句の方向性としての多様性を重視する立場であるが、現代川柳にも同様のことがいえるとして、それでもなにか「俳句っぽさ」「川柳っぽさ」が残るとすれば、そこはどこなのか。
湊さんは時実の言葉を借りて「危機感」というキーワードをあげていて、これは「極楽の文芸」な俳句には縁遠いキーワードかと思われる。(個別に「危機感」を核とする俳句はもちろんあって、富澤赤黄男なんか代表ですが、俳句代表かというとすこし違う気がする。)非常に興味深いところである。

もうひとつは、先日衝撃的な創刊号を発刊した「俳句樹」の第2号。
創刊号よりも多彩なラインナップで、いろいろ興味深い評論が多かったが、特に筑紫磐井氏の「長編・「結社の時代」とは何であったのか」 は、質・量、ともに圧巻。

そもそも「結社の時代」というのが『俳句』編集長の仕掛けたキャッチフレーズだった、というのが私にとっては初耳だったのだが、この力稿では「結社の時代」のキャッチフレーズの誕生から最盛期、衰退期にいたるまで丁寧に追いかけており、ひろく俳句ジャーナリズムというもののありかたを考えさせるものとなっている。
必読である。

※附記 リンク(聯関)にS/Cを追加させていただきました!

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