2011年3月24日木曜日

震災俳句

 
先日の記事は、感情にまかせて書いた。
失敗だったな、と思うのは、「読まなくてもいいです」という文言。
ある人から、それなら公開しなければいいじゃないか、評論を書く立場から言うべきでない子どもっぽい言葉だ、と、批判を受けた。

仰るとおりである。個人のblogではあるが、かりにも批評を意識して発表している媒体には書くべきではなかった。

その後、山田露結氏からもコメントをいただき、同様の指摘をうけた。

私がこのブログ記事を読んで不快に思ったのはおっしゃっるように「読まなくていい」と前置きしておいた上で書かれていること、それから「生涯、相容れることが出来ないだろう。」と締めくくって相手の反応を断つ姿勢で文章が終わっていることからでした。そのことによって久留島さんの発言は批判とも反論ともならず、相手に石をぶつけておいて「喧嘩するつもりはありません。」と言っているように受け取れたのです。

前の文言についてはまったくその通りだ。お詫びして訂正したい。
記事を訂正しようかとも思ったが、すでにコメントも書いていただいたし、あえてそのままにした。内容については訂正しないが、これ以上議論にもならない、と思う。

小野氏の文章については今でも強い不快感を持っている。震災に乗じて個人の「美学」「哲学」を強要するような文章は、なんとしても不快、としか言えない。
これは「俳句観」にまつわる話題ではないために、反論があったとしても議論が建設的に進むものではなく、
本来議論の俎上に載せるべきではない。「俳句観」に対する違和感については、西原天気氏の反論のほうが、要を得ている。議論不可能なレベルで、しかし立場の違いは示しておきたいと思ったので、批評としては書かず、読者として個人blogで表明した。
ここにおいても、改めて、個人として「相容れない」と宣言せざるをえない。

管見において「震災俳句」を、明確に始めたのは「季語と歳時記」だった。
歳時記サイトとしてはきっちりしていて大いに活用させていただいているのだが、こういう活動は、全体にいただけない。

応募する人たちが「誠実に立ち向かって」いるのはわかる。
被災地以外の人間にとっても今回の事態を乗り越えようと必死なのである。日本が大変なことになっている。何かしたい。何かできることはないか。一種の躁状態。ここ最近のblogに震災関係の記事を並べたのも、同じ心境だ。

しかし、チャリティーマッチやチャリティーコンサートと違って俳句の募集は物質的に被災者を支援できない。「震災に取材したノンフィクション小説」なら、売り上げを復興に役立てることもできるだろうが、俳句は金にならない。その意味においても俳句は無力である。

報道バラエティで「被災地へのメッセージ」を募集していることがある。
あれもいい趣味とは思えないが、ストレートではある。応援メッセージなら、そのままメッセージとして送ればいい。俳句短歌は、作品という加工が施されているだけ、気持ちの悪さが先に立つ。メッセージに加え、作品としての価値、作家としての態度が問題になるからだ。


「大震災の俳句、短歌を!」って、ね、しかし、あなた。
ノリが、大喜利と変わらないではないか。

「題詠」というのは、もともとたしかに大喜利みたいな座敷芸だと思うが、座敷芸として扱っていいネタとそうでないネタというのは、芸人なら峻別すべきものだ。
そのうえで、ネタとして提供されたからには人を楽しませるかどうか、価値判断にかけられることは当然のことである。
ことさらな「追悼」、ありふれた「激励」が、「作品」として価値をもつだろうか。

なんだか随分昔の記憶のようだが、先月来の「個性」の話題につなげると、一般的な共感できる感傷、追悼、激励、から「個性」を特立させるのは、かなり難しい。
戦争や震災、被害者全てが無条件に巻き込まれ同じように反応してしまう事態に、「個性」を発揮できるなら、内容としては同じでも、まったく違う価値がそこに出現する。それに至らない、メッセージにすぎない言葉の羅列は、だからストレートなメッセージよりも、作品を試行している分だけ、「スベッている」。

いい趣味とは思えないが、これについてもやはり、「反論」して叩く(=取り締まる)べき類のものではなく、「スベっている」と「思う」しか、できない。



個人として、「俳句」のもつ共同性や楽観主義とやらが、だれかにとってなにかの救いになるなら素晴らしいことだ。

私自身が先日、「いらいら」をそのまま文章に公開したのと同様、吐き出すとちょっと気分が晴れることはある。また関悦史氏が介護のストレスを俳句として吐き出したというように、有季定型や季語には、ある種の救済効果がある。
南無花鳥諷詠、俳諧須菩提羅経。まこと俳句は極楽の文学なり。

しかし、個人が結果として俳句によって救済されたという"いいはなし"と、結果ありきで"いいはなし"を募集するのとは、まったく別であろう。

そういえば『俳句界』は昨年、「泣ける俳句」を募集していましたね。
・・・「17音の深イイ~俳句」なんて募集するひともいるだろうか。
笑えない冗談ですね、すみません。



大風呂敷出版局だより 雨の夜のホウレンソウ
無門日記:地震と俳句

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