2013年5月31日金曜日

巻民代追悼句集「御遊戯」


外山一機氏と巻民代氏との合同blog、「トヤマキ Toya-Maki」(すでに閉鎖)を発見したのは、実は今年になってからで、活動休止に入ってずいぶんになっていた。

二人の合作俳句を淡々と綴ったもので、一句一句は音律がそろっていなかったり、投げっぱなしだったりして、読みづらいものも多かったが、続けて読んでいくうちになんだか楽しくなってしまい、ちょっと中毒になってしまった。

活動は2011年から開始された、というから、もしかするともっと前にも一度くらい見たことがあるのかも知れないが、ずっと忘れていたので、やはり発見という感じであったのだが、最終更新は昨年で止まっており、再開しないかな、と期待していた。


ちなみに、googleで「外山一機 巻民代」を検索すると、過去のログがいくつか見られるのだが、ブログ本体が消えているのに検索結果にあらわれる、という、私はこうしたログ機能について詳しくないのでよくわからないのだが、実に中途半端な、幽霊じみたことになるからおもしろい。


と、思ったら、外山さんによる巻民代追悼句集「御遊戯」が発表された。(2013.05.18)



  おにく食べれない佐藤さん、も秋よね、秋秋。(時刻:08/18/2011)

  桜木町にも売っているのね、好きよグロンサン。(時刻:08/19/2011)

  引鶴!ねえアフリカが全部ほしいの(時刻:08/28/2011)

  三叉路でしずかにうんこしていたの(時刻:09/21/2011)

それぞれの俳句?には数行にわたる詞書が付されているが、句意にはほとんど関係なく、と言い切るのはやや躊躇われるものの、友だち同士の会話の一部のような、あるいはブログの一部を抜粋したような、女性らしき作者(巻民代)の日常報告が綴られている。

たとえば、「桜木町~」の詞書は
朝なのにものすごい暑くて、せみも鳴いてるし、これはもう山崎まさよしって感じがした。でも桜木町に降りても山崎まさよしとかいないし山崎まさよし聴いてそうな人もいないみたい。
であり、また、「引鶴!」の詞書は、

「コーヒーゼリーを頼む人ってどういう気持ちなのかしら」「僕は好きだけど」「それって蕎麦屋でカレーを頼むような感じ?」Mは長いこと黙って考えていたけど、そうしているあいだにもリビアじゃきっと国旗焼かれたりしていたのね。
である。

「俳句」と、「詞書」との区別は、ここでは長短の差こそあれ、文体も内容もほとんどほとんど無化され、差別がないように思われる。

にも関わらず。

私たちは、この「句集」の、ど真ん中に置かれた大文字フォントの部分を「俳句作品」として受け取り、その前に付された小文字の数行を「詞書」として理解する。

作者の提供する「俳句」とは、

私たちの知る「俳句」とは、

いったいなんなのだろう?


という問いを、読者の内部に生じさせるために、作者の企みは終始しているようだ。


もっとも、句集の後半におよんで、「俳句」作品の加工度は、やや上がっているように思う。つまり、日常会話から「作品」を取り出すにあたり、「手間とセンス」が加わっている。

言い方を変えれば、「異化」がおきている。

  そうねわたしも。
 俳句がある・原発がある・ぱんぱんがある(時刻:08/07/2012)

  Mよりよっぽど大事。
 今日は駄目。二十四時間テレビがあるの。(時刻:08/18/2012)


この句集は2011年から外山一機と巻民代のユニット「トヤマキ」として活動するなかで制作した俳句をまとめたものです。・・・・・・ 
巻民代は外山一機の別称です。ふと思い立って始めたブログ「トヤマキToya-Maki」ですが、不定期に書いていたこのブログも今読み返すとすでに過去の作品と呼ぶしかないものになっていることに驚きます。

句集のあとがき。
これ以後は作者が、なぜ「巻民代」という「別称」を設定するに至ったか、が簡潔に述べられている。
「外山一機」という作家に関心を払う人間には、同時に発表された句集『平成』あとがきと、本書あとがきは必読だが、それはさておき、あとがきの末文は次のように措かれている。
「巻民代」の正体がなんだったのか、いまだにぼんやりとしていてその答えが見つかりません。ただ巻民代の名で俳句を作るとき、まるでいくらでも作ることができるような恐怖と快楽とにしばしば襲われていたことはたしかでした。

私が読者として感じた、一種の「中毒」的な快楽も、おそらく、作者が感じるのと同種のものであろう。

俳句(という名のもの)が、無制限に広がっていく。

その、途方もない混沌というか広がり、どこまで「作品」として形を保っていられるのか、というチキンレース的な快楽に興じさせられるのであり、また、それがついつい作者も読者も「楽しく」なってしまうのだ。


巻民代は、なぜmaki-tamiyoだったのだろうか。

toyama-kazukiのアナグラムかとも思ったが字数があわない。

あるいは「別称」という設定も創作であり、実在の人名を借用されたものかとも疑っている。



「共同研究・現代俳句50年」というかつての企画特集を読み直す企画を、途絶しているのだけれど、第14章「俳句は戦後の時代とどう関わったか」という座談会で、坪内稔典氏は次のような発言をしている。
坪内 根源俳句は「俳句は片言に非ず」という主張であり実践だったのですが、それは俳句にとってはとても無理な、いわば俳句形式を虐使することだったと思います。その虐使が、ほんの少し格別に優れた作品、永田耕衣の<母死ねば今着給へる冬着欲し>(昭和25)、西東三鬼の<掘り出され裸の根株 雪が降る>(昭和24)などを残したのではないでしょうか。
『俳句研究』63・3(1996.03)

正確には坪内氏は席上におらず、のちに座談会原稿に追記した「誌上参加」のようだが、この「虐使」というニュアンスの微妙さが、私は気に入っている。


ともあれ、俳句形式に対して愛憎入り交じった「虐使」を加えていく外山氏の成果がまとまって読めるようになったことを、まずは喜びたい。

2013年5月16日木曜日

大向こうから



歌舞伎を観に行ったことのある人ならご存知のとおり、劇中、盛り上がったところで「大向こう」から声がかかる。

 中村屋!

とか

 七代目!

とかいう、アレである。

本当は誰が掛けてもいいらしいが、ここぞ!のタイミングでいい声をかけるのは難しく、実際には公認組織に所属している人が率先してやるのを聞くことが多い。劇場公認の会員になると、安価の幕見席をフリーで観られるのだそうだ。

歌舞伎には当たり前な「大向こう」について、以前、たしか市川染五郎さんだったと思うが、トーク番組でその特殊さを指摘していた。

なぜ、劇中に役名ではなく本名を呼ぶことが許されるのか。

考えてみれば不思議なことで、劇団四季がライオンキングを上演している最中に、「シンバ!」と声を掛けるならまだしも、役者の本名で応援なんかしたら興ざめ間違いない。下手をすると劇場から追い出される。

ところが、「成田屋」とか「中村屋」は、まあ芸名であり、本名である。

つまり歌舞伎には、作品の個別ストーリーがどうであっても「役者」が観られればよい、という見方がある。それが、許されている。


参考.ほぼ日刊イトイ新聞 大向こうの堀越さん。



荻田清氏『笑いの歌舞伎史』(朝日選書)に、次のようなエピソードがある。

学生時代の荻田氏が初めて大阪の新歌舞伎座で見たとき、上品そうなおばあさんが話しかけてきて、芝居の内容がわからないので教えてほしい、と尋ねられたのだという。
当時の演目は「双蝶蝶曲輪日記」で、近松を研究しようとしていた荻田氏は熱心に人物関係や内容について説明してあげた。
それを聞いたおばあさんは感心してくれて、これでこの話の筋がようわかりました、と感謝された。イヤホンガイドのまだなかった頃の話である。 
その時、わたしはこのおばあさんのような観劇の仕方、筋などわからなくても歌舞伎を楽しめることを知って、ショックを受けた。おばあさんは、長五郎を演じる八代目の坂東三津五郎と十字屋女房・お早を演じる二代目中村扇雀(現・三代目鴈治郎)※引用者注、現坂田藤十郎 を見に来ていたのだった。失礼な言い方をすれば、筋などどうでもよかったのだ。
荻田清『笑いの歌舞伎史』(朝日選書、2004)


歌舞伎は、人がライブで演じるものとしては演劇なのだが、一方で「西洋芸術の一表現様態(ジャンル)を前提にして」言う場合の「演劇」に含めていいのかどうか、はなはだ悩ましい。

そもそも「歌舞伎」は日本で育った「歌舞伎」なのであり、ジャンル分け、レッテル貼りなんて便宜上のものでしかない。



「俳句」は「文学」かどうか、あるいは「芸術」かどうか、という古い古い設問がある。
今の私の心境は、正直なところ、

 俳句は文学だって、そう考えていた時期が俺にもありました・・・・・・

という感じである。

正岡子規が「俳句は文学の一部なり。文学は美術の一部なり。」と述べた時代。
あるいは石田波郷が「俳句は文学ではない」と喝破し、桑原武夫が「俳句第二芸術論」で一世を風靡した時代。
摂津幸彦が「恥ずかしいことだけど、僕はやっぱり現代俳句っていうのは文学でありたいな」と呟き、
川名大が『俳句は文学になりたい』をタイトルに掲げ、
仁平勝が『俳句が文学になるとき』でサントリー学芸賞を受賞した。

それぞれは、それぞれに「文学」というジャンルをある程度規定し、そのなかで「俳句」を考えようとした。
それぞれは、それぞれに考えたすえ、あるいはわかりやすさを、あるいは表現史の高みを、意識して「文学」と対峙した。そのことには意味があったと思う。

実際、「俳句」だけではないのである。
表現史の際を求めようとあがいた意識的な作家も、
ちょっと変わったことを言ってみたい文芸評論家も、
文学研究に新しい視座を取り入れようとした古典研究者も、
それぞれのジャンルからそれぞれが「文学」を定義し、「文学」の仲間入りをしようとしてきたのだ。

漫画は文学か。江戸の黄表紙は絵入りである。絵巻物はどうだ。ライトノベルは文学か。ニーチェが文学なら『法華経』は文学なのか。親鸞の思想は文学か。手紙はどうだ。日記はどうだ。絵本は、アラビアンナイトはどうだ。作者が特定できない昔話は。・・・

さまざまな「文芸」=文章表現を表現の問題として捉える、という見方は、たしかに「文学」を豊かにした。

しかし。その結果。
膨らみすぎた「文学」という枠は、もうなくなってしまった。

もう、そろそろいいだろう、と。

「文学」を標榜する人たちは、その「文学」という価値観、基準が、全く無根拠で曖昧であることに気づいていない。
あるいは気づいていても無頓着である、ように見える。

別に「文学」は西欧近代の表現ジャンルだから、というのではない。
西欧近代のnovelを規範とするもの「だけ」を「文学」と呼ぶならば、それもよい。
あるいは逆に、本来の語義にならって漢詩文だけを「文学」と呼んでもいいだろう。
そうであれば、むしろことは単純なのである。

そうではなくて、個人の恣意的な、定義しようのない「何か」を基準にして、「これは○○である/○○でない」という議論を繰り返すことが不毛なのだ。

結局のところ、その場合の「文学」は、あなたにとっての「文学」でしかなく、いま厳然と目の前に存在する「それ」を「文学にあらず」と否定する、怠慢こそが問題なのである。


「俳句」は、「文学」でなくたっていい。


※5/26誤字訂正
 

2013年5月11日土曜日

ろちゅう。



閑話。

私の家は、某大学のご近所にあるのですけれども。

先日、夜の十時ごろでしたか、家に帰るために大学の裏を通っていたところ、目の前を二人連れの男女が、歩いていたんですね。

学生さん、なんでしょう。
女子のほうはジャージ姿で、男子のほうは自転車を押しながら歩いていて、二人で談笑しながら歩いているんですね。

部活帰りかな、遅くまでやってるな。
仲よさそうに話している、楽しそうだな。

などと思いながら、後ろから見ていたら、不意に、男子のほうが会話を止めて、

顔を、女子に近づけた、と、思うや。

・・・!

しばらくして女子のほうが男子を押しのけて、

「・・・!ちょー、なんなん!」

と。
笑いながら、言うわけです。

しばらく女子は先に立って歩いて、男子がついてこないもんで、振り返ってもう一度、

「ちょー、なんなん!」

と。
これも笑いながら。

私。必死に無表情で追い抜きましたけれども。

もうね、
こっちが、「なんなん!?」ですわ!

人の目の前で!近所で!「なんなん!?」どこの青春よ!?通行人考えて!?

まったく、初夏になると人はこうも陽気になるのか、と、思いましたことです。


近ごろは惚気を世間に発表するのが流行なのでしょうか。まったく。

スピカ 西村麒麟「きりんの家」





閑話休題。

最近、まったく作句も何もできていないのですが、

俳句ラボの募集が始まっています。

柿衛文庫 俳句ラボ

今年から、方式がいろいろ変わりました。ご興味のある方は是非。

6月から8月の講師は杉田菜穂先生。
久留島は9・10・11を担当します。どうぞよろしく。



おまけ。
ここ一ヶ月余で、古本屋で買った俳句関連本。どれも2000円しなかったので、お買い得でした。

・『日本伝統俳句協会叢書32 山田弘子句集 春節』日本伝統俳句協会、2000
・稲畑汀子編『創刊百年ホトトギス巻頭句集』小学館、1995
・『えひめ発百年の俳句 郷土俳人シリーズ③高浜虚子』愛媛新聞社、1997