2013年6月26日水曜日

俳句ラボ、初回せまる。

若手による若手のための俳句講座「俳句ラボ」


関西在住の若手俳人 塩見恵介、中谷仁美、杉田菜穂、久留島元の各講師が、俳句の作り方や鑑賞の方法などについてわかりやすく、楽しく教授。魅惑的な俳句の世界へエスコートいたします。句作経験が無くても大丈夫。実作を中心に実践的な句会を体験していただく、ユニークな内容を予定しております。
  • 対象:45歳以下で俳句に興味がある方ならどなたでも。
  • 内容:各月の最終日曜日、2時から5時
1.    基本を学ぶ(6・7・8月 講師:杉田菜穂)
2.    どんどん作って上達(9・10・11月 講師:久留島元)
3.    楽しいイベントと句会(12・1・2月 講師:塩見恵介・中谷仁美)
※3月には、全講師参加による総括句会を予定しております。
※受講者は、講座終了時に作成する作品集(講師、受講者の作品などを掲載予定)に作品をご掲載いただけます。

  • 受講料:
      123すべて受講:5000円
      123いずれかを受講:1期につき2000円
  • 問い合わせ・申し込み:
      電話(072−782−0244)で公益財団法人柿衞文庫まで

公益財団法人柿衛文庫 「俳句ラボ」



初回は6月30日(日)、お申し込みがまだの方は急いでどうぞ。


昨年の経験をふまえ、今年からシステムが変わっております。
3ヶ月連続講義なので予定がたてにくいかも知れませんが、アンダー45才限定の俳句講座というのも珍しいと思います。
関西在住で俳句をやりたいけど結社句会にはまだちょっと、というような若手の方、
あるいは俳句に興味はあるけどどうやって始めたらいいかわからない、という方、
初心者も経験者も大歓迎です。ぜひどうぞ。




2013年6月23日日曜日

「ぼくらの17-on!」感想

『ぼくらの17-on!』

【作】アキヤマ香 【俳句監修】佐藤文香
【出版社】双葉社、201.06.17
【掲載】「JOURすてきな主婦たち」2012.04~

【あらすじ】
なにごともやる気のない高校二年生、久保田莉央は、偶然出会った少女(錦織綾)に一目惚れ。彼女の気をひくため俳句愛好会に入ることになる。
俳句愛好会は三年の森先輩と二年生の山本春樹の二人だけ。俳句のことなどまったく知らない莉央だったが、はじめての吟行で出した句が思わぬ好評価を得たことで興味を持つ。
しかし、莉央は綾が実は山本の兄(利秋)とつきあっていることを知る。だまされたと怒る莉央だが、山本には俳句の全国大会「俳句甲子園」へ出場するため、どうしても部員5人をそろえたいという夢があった。
やがて莉央は、寄せ集めの5人とともに真剣に俳句甲子園を目指すようになる―

【感想】
当初、どちらかというと「俳句甲子園の宣伝漫画」という先入観で、悪く言えば某・通信教育講座の付録マンガのようなものを考えていたことをお詫びしたい。

最初に素直な感想として、「とてもよかった」。
理由はいろいろと後述するが、なにより、キャラクターや場面に応じて作られる俳句の力と、(自分自身の経験に照らして)「俳句が好き」な高校生のリアルさがすばらしい。

印象に残ったのは主人公・莉央が友人の杉山に俳句の魅力について語る次のセリフ。
なんてゆーか・・・ 気持ちいいんだよね 
言葉がストンって降りてきたとき パズルのピースがはまったみたいに 
「キターーーッ!!」って思う
俳句の魅力というと「自然のすばらしさ」や「日本の伝統」しか語れない人がいる。
季節感に基づいた季語や、伝えられてきた五七五の定型律は俳句にとって重要な要素には違いないが、それが、高校生にとってのリアルな魅力たりえるかどうか。
むしろ自分の「ことば」が、「俳句」という形をとって現れたときの感覚、表現できた快楽、それは音楽や小説にも通じるけれども少し違う、根源的で直接的な「俳句の魅力」だろうし、それこそがスタート地点、ではないだろうか。

本作では、句に対する読み手の反応の豊かさ、句ができたときの主人公の表情など、「表現」にまつわる喜び、感動、わくわく、が、とてもストイックに、丁寧に描かれている。
だからこそ、特に「俳句」という枠組みで見なくともおもしろい作品だと思う。



読後すぐ、佐藤文香にメールで感想を伝え、ツイッターでも発信した。
その後、ツイッター上での「ぼくらの17-on!発売の反響」が作成されたが(更新継続中)、改めてこちらでも感想を記すことにした。

私自身(もう10年も前だが)俳句甲子園に参加経験があり、現在も俳句に関わっていて、「俳句甲子園マンガ」的なものを夢想したことは何度もある。
当時は『ヒカルの碁』(1999~)が話題だったので、アイディアとしてはごく自然の流れだった。
(※文化部モノの流れとして『のだめカンタービレ』2001~、『げんしけん』2002~、『とめはねっ!』2007~、『3月のライオン』2007~、『ちはやふる』2008~、『バクマン!』2008~など。)

構想したストーリーは、現実路線のものからB級コメディ映画風、超能力バトルものに至るまでいろいろあったが、私には画力も創作力も乏しかったので夢想は夢想に終わった。
ただ、もともと俳句甲子園に出場するのは筆が立つ文系学生が多いから、密かに「俳句甲子園漫画」や「俳句甲子園小説」を企図した、あるいは執筆に及んだ経験をもつ人は少なくなかろう。
(※俳句甲子園とは直接関係がないが、青春俳句小説「恋の平行四辺形」前編後編俳句バトル漫画まとめ曾呂利亭雑記「俳句バトル」なども参照されたい)

その意味において、『ぼくらの17-on!』には、自分の夢を代わりに叶えてくれた、という気持ちがあったことは否めない。

実際のところ「やる気のない主人公」が「ひょんなことから」「寄せ集め」で「○○の全国大会を目指す」というパターンは、映画でもおなじみの黄金パターンである。
かつて夢想したころはどちらかというとジャンプ漫画の影響で「バトルもの」に偏っていたが、基本構図としては似ていたと思う。
近いところでは「恋は五・七・五!」(未見)もそうである。

さらに「俳句甲子園漫画」としては、たくまる圭『僕らは長く夢をみる ~めざせ俳句甲子園~』 (白泉社『ヤングアニマル』2003年9号 -11号・連載全3回)が先行している。(未読/参考烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」)。

これらを考え合わせると、『ぼくらの17-on!』という作品は、素材やストーリーの新奇性からは評価しにくい。むしろ知識さえあれば当然発想しうる素材を、定番のストーリーにあてはめてうまく提供した、といえそうだ。



物語において、定型、類型は、むしろ力になる場合がある。

『ぼくらの17-on!』において、第一話で主人公が俳句に出会ってから5人チームを編成し、予選大会を戦うまでわずか4話。
「俳句の素人」が集まってからお互いを理解し、一方で俳句の実力をつける過程を描くには、やや性急である。

たとえば、選手たちがディベートを練習する描写はわずか1ページ。それでたちまち実力がアップしている。
他にも「季語」「歳時記」「季語の本意」といった基礎知識はほとんどコマのすみっこで軽く触れられる程度であり、飛び交わされる専門用語について、「素人」の作中人物がどの程度理解しているのか(そして読者がどのくらい把握できるのか)、わかりにくい印象もある。

しかし、やる気のなかった素人が挫折を味わって実力をつける、という定番パターンは、実は特殊な知識を短期に身につけた主人公たちを理解するために効果的に働いている。

定番だからこそ、描かれていない背景まで補完して想像可能なのだ。

それに、囲碁のルールが理解できなくても『ヒカルの碁』は読めるし、音楽知識が0でも『のだめ』はおもしろいのである。
それは人物造型の魅力だったり、描かれていない試合や演奏の細部を想像させる、漫画のチカラ、であろう。

ちなみに本作に描かれるような、5月のエントリーにあわせてメンバーを集め試合直前の合宿で調整・・・というのは、常連校なら知らず初出場校にはよくある話である。
自分の経験に照らしていえば、高校生の吸収力というのは相当なもので、選手たちは数週間の特訓でかなりのレベルに到達できる。本作の内容は、決して非現実的ではない。

本作のストーリーが主眼として描くのは俳句知識の解説ではなく、部員たちの人間関係、葛藤など。そうした日常生活から立ち上がってくる一句の存在感について、本作の描写は実に丁寧である。
句自体の力もあるが、俳句にまつわる専門知識をいったん置いて、句そのものと、一句をめぐる人々の反応を描くことで「俳句の魅力」を描くことに成功している、といえる。
特に、もと陸上部の杉山をめぐって作られた森先輩や主人公の作品は、キャラクターにも場面にもうまくはまっていて、とてもよかった。

以上、やや類型的なストーリーや人物造型の「黄金パターン」は気になるものの、本作は類型をうまく使って、俳句の魅力、俳句にはまっていく高校生のリアルな心情を描くことに成功した漫画であると思う。



掲載誌『JOUR すてきな主婦たち』についてははじめて知ったのだが、「1985年4月8日 - 『Jour(ジュール)』創刊号発売」されたということで、結構な老舗である。
主婦や既婚女性向けの作品が豊富」な誌面のなかで本作がどのような位置づけにあるのか、私には想像しかできないが、どちらかというと、読者層は顧問の姫川先生あたりに感情移入して「生徒」たちの奮闘を見ているのかも知れない。

そうであれば、むしろ「俳句の知識」が必要となってくるのは試合観戦を描く機会の増える今後であろう。ディベートの勝敗については、さすがに知識ぬきでは難しいだろうから、これからの描き方がどうなるか、楽しみにしたいと思う。


※ 2013.06.24、あらすじネタバレ部分とそれに関わる記述を訂正。

※ 2013.06.24
せっかくなのでレビューサイトの評判もまとめときましょうかね。
どれも俳句関係ない人たちだと思うけど、かなり好評価。だいたい同じようなこと言ってるかな。

 そのスピードで アキヤマ香『ぼくらの17-ON!』

 マンガ一巻読破 【オススメ】アキヤマ/香『ぼくらの17-on!』
  今までに購入した漫画、ゲームのメモ ぼくらの17-ON! 1巻
 


 

2013年6月12日水曜日

甲子園とディベート


俳句甲子園の季節である。

と、書くと、「またか」とか「相変わらずか」という反応もかえってきそうだ。
私自身、スタッフとして働いているわけでもないし、熱心な観戦者というほどでもない。それでもやはり、「卒業生」としては、今、俳句甲子園がどうなっているのか、いつも頭のすみで気になっている。

関西予選は、今週の15日土曜日に龍谷大学に京都予選、翌16日にで大阪予選が開催される。
今年は初出場校(灘高校、伊丹高校)もあり、なかなか楽しみなところである。


2011年、もう2年前になるけれども、ひさびさに行った俳句甲子園本選で、私は次の様な感想を持った。
正直なところディベートの手法自体は、私の知っている頃とあまり変わらない印象でした。審査委員長・高野ムツオさんは「近年希な好勝負!」と昂奮されてまして、うーん、リップサービスもあるんだろうなぁとは思いつつ。もちろん洗練度というか、全体のレベルは向上しているのですが、相手のコメントを引き出しつつ自分のフィールドに持ち込むとか、笑いを取りつつ添削していく過程とか、懐かしいな、という感じ。 審査委員長の正木ゆう子さんが最後の挨拶でおっしゃっていましたが、ディベートに関してはもう一歩、別の展開がありそうな気がする。それが何か、具体的にはわからないですが。 

この記事ではぼかして書いているけれども、はっきり言って俳句甲子園のディベートは頭打ちになっていると思った。

もちろん、選手一人ひとりの実力(鑑賞力や知識量)は上がっているし、よりよいディベートをしようという努力が随所に見える。
観戦中は思わず引き込まれて応援してしまうし、フェアプレイに徹する高校生たちをリスペクトしてもいる。「洗練されている」という感想にも、偽りはない。

しかし、ディベートで交わされる応酬自体は、私がよく知っている第6~8回くらいの頃から、あまり変わっていないとも思う。

私見によれば、現在の俳句甲子園におけるディベートは、第6、7回あたりの、開成、高田、甲南、の3校によって磨かれた側面が大きい。

現在、その方法をもっとも洗練させている開成高校のディベートについては、同記事にも引いた野口裕さんのレポートで的確な分析がある。いくつか興味深い点を抜き出すと、



  • 句の解釈を「作者」側にさせることで、「作者の意図」を「強弁する」作者、というシチュエーションを作ることに成功している。
    句会形式では普通、選んだ側から句解をするので、作者が自分の意図は違った、と話しても「いやそうは読めませんよ、でも良い句ですよ、ぐらいの会話でけりがつく。そんな読みは認めません、私の意図はこうだったんですと、作者が言い張るのは例外に属する。」

  • 合評形式の句会では、よくある景ですよ、で済んでしまいそうな気もする。」やりとりについて、句の情景を説明したり、先行句がないことを指摘することで、直接答えることなくなんとなく句の存在意義を納得させてしまう。」
こう取り出すと開成高校のディベートは、形式をうまく利用し、流れをコントロールしていることがわかる。そして、どちらかといえば相手を論破するのではなく、「審査員」にディベート力を「見せる」意識が働いていることがわかる。




俳句甲子園というイベントの成功は、間違いなく「ディベート」という形式を取り入れたことにある。


ただ、良くも悪くも、「ディベート」技術の洗練によって、対戦相手との「鑑賞のやりとり」からは少し違う次元での「試合」になりつつある。
「出てきた句は忘れたが、サラリーマンがコンペでプレゼンしているみたいだった」 七曜堂:俳句甲子園を安全に語る方法
こうした感想が出てくるのも、故のないことではないだろう。

では、どうすればよいのか。


ツイッター上ではこんな意見が飛び交っていた。



さらにつづき→内容と「いい句は偶然でできることもあるが、いい読みは偶然では絶対にできない」というフレーズに思った。ディベートの代わりに「相手の句をいかによく読むか」を競ったらどうか。(俳句いきなり入門いい句を作り、いい読みをした方が勝ち
「相手をの句をいかによく読むか」を競う。
なるほど、と思う。

というか、本来の「句会」の在り方からすれば、そのほうが正道だ。

思いがけない「読み巧者」によって、見過ごしていた句が突然輝き出す。句会の大きな魅力は、そんな「読みの力」が発揮される瞬間である。

そもそもディベートによる評価軸も、相手を論破することにあるのではなく、相手を俳句をきちんと読解できているか、という「鑑賞力」が試されているのである。

(※「俳句甲子園の試合は「作品点」と「鑑賞点」とで競います。「作品点」は俳句の出来、「鑑賞点」は議論の内容を評価します。」松山俳句甲子園公式HP 俳句甲子園とは?



しかし、ことは容易ではない。

実見していないので観戦者のレポートに頼るしかないが、実際に、「相手を褒める」ディベートを実践したチームもいたのである。
以下は2009年の江渡華子によるレポート。
予選の時から気になっていたのは、松山中央のディベートの仕方だ。「○○をこう鑑賞しましたが、これでよろしいでしょうか」という言い方が多い。相手を褒めてしゃべり終わることがしばしば。相手の句の弱点を攻撃し、自分の句の良さをアピールするというディベートの観点からすると、いまいち何を言いたいのかわかりづらい。 
金子兜太先生が「私は審査は初めてだが、これは褒めあいのゲームなのか」とおっしゃるほどである。

この年、松山中央高校は開成高校、洛南高校を破って優勝している。
しかし、江渡はさらに、次のように指摘している。
俳句甲子園はあくまで俳句の大会であるため、俳句の出来の評価を中心とするものである。しかしながら、対戦をなぜ見せるかといえば、ディベートがあるからではないだろうか。予選から見ている中で、松山中央のディベートは、己の鑑賞を披露する方法だった。

印象的なやり取りが、決勝先鋒戦にあった。終始自分の鑑賞を披露するという形でディベートをする体制をとっていた松山中央だったが、「この鑑賞でよろしいでしょうか」との松山中央の発言に対して「そうとって頂いて結構です」のみの洛南の回答に、檀上は一瞬静まった。ディベートの時間は短い。だからこそ、少しでも時間があるのであれば自分の高校の句をアピールしたい。今までの対戦校はそう思っていたからこそ、質問とは言い難いそのディベート方法にも対応していたが、その鑑賞が特に問題なければ、返事は上記の洛南のもので充分なのである。けれど、それでは盛り上がらず、観客側にとって面白くない。
俳句甲子園の推移を知っている私としては、松山中央高校のディベートは、新しいディベートのスタイル(鑑賞力の披露)を目指したもの、と理解できる。
ちなみに松山中央高校を率いた顧問は櫛部天思氏。第3回大会では伯方高校を率いて優勝経験を持つ指導者であり、俳句甲子園では常連の名物顧問の一人だ。
おそらく、櫛部さんも新しいディベートスタイルにこだわった結果、つまり「勝ち負け」ではないディベートにこだわった成果の「褒めあいのゲーム」だったのではないか。

しかし、「よい鑑賞」を評価する基準というのは、かなり恣意的で難しい。


むろんその見極めは審査員の能力に期待されるところだが、それは初見の観客にとってはわかりづらく、実はきわめて「内向き」なイベントになってしまう危険があるのではないだろうか。




この稿に、結論はない。


私は俳句甲子園が好きだし、そして、俳句甲子園のディベートが、よりいい形で発展してくれることを望んでいる。


ただ、多くの高校生が悩んでいるように、その新しさの地平は、簡単に見えてこない。


だが少なくとも、「俳句甲子園のディベート」が、単純に議論の勝ち負けに終始するような、相手の論破や、評価上の勝ち点だけを目的にするようなものになってしまったなら、それはもう、「俳句」の敗北である。

ディベート形式による「鑑賞力」の見せ方を、どう充実させていくか。

俳句甲子園の可能性は、まだまだこれから、なのである。


※追記、2013.06.16
トゥゲッター 俳句甲子園のディベートについて