2014年1月5日日曜日

俳人一〇〇人言えますか?


「船団の会」に、岡清秀さんという人がいる。

大先輩であるが、あえて言えば「俳句仲間」である。
昨年8月19日(ハイクの日)には、岡さんプロデュースの「句イズラリー」大会が開催され、大いに盛り上がった。(参照:ハイクの日、句イズラリー
今や「船団の会」懇親会の定番になりつつある「季語ビンゴ」の発案者も岡さんだし、聞くところによれば今年の新年会(111)にも新企画を準備中だという。
とにかくアイディアマンで、「俳句」を「楽しむ」ことにかけては人後に落ちない。

岡さんは、句会でも人一倍真剣である。真剣に句に向き合い、論評する。
キャリアも長く、常に挑戦的な句を目指している。
だが、岡さんはいつも言う。

「僕の俳句は草野球だ。プロ野球じゃない。
 でも、俳句が野球と違うのは、句会の場では平等だ

じゃあ俳句にとって、プロフェッショナルとは、何だろう?


中山市朗という人がいる。
小説家、怪異蒐集家、と称している。実話怪談集『新耳袋』の著者のひとりとして有名で、SFやオカルトうんちくに詳しい作家である。
ある先輩から、中山氏のBlogに面白い話が載っている、と教えてもらった。


中山氏が、クリエイターを目指す人たちの専門学校で講師をしていた頃、次のような試験を出したという。

「ある分野(好きな分野)を限定し、著名人を100人挙げよ」

学生の回答はさまざま。歌舞伎役者を80人以上あげた学生もいれば、マンガ家を目指しているのに十数人しか書けない学生もいたという。
そのなかでKという学生は答案を白紙で提出し、強く抗議してきたという。

「こんな試験には意味がない。100人の著名人を挙げる意味がわからない。僕はマンガ家を目指しているが、ネームバリューだの、有名だの、興味はありません」

曰く、クリエイターにとって大切なのは感受性であり、ネームバリューなどではない、と。

次の授業で、中山氏は全学生に対して怒鳴り散らした、のだそうだ。
「あほんだらーッ! お前らは、お花は美しい、お別れは悲しい、言うて小学生の日記でも書いとれ!」と。 
まず、自分たちが進もうとしている業界は、誰が作り上げてきたのか、どんな歴史があるのかをちゃんと知り学ぶべきだと。 
そうすると、誰をどう評価せねばならないかを知ることになる。プロの技をちゃんと正当に評価することがほんまもんのプロなんや、と。 
プロはプロを知るわけです。 
古いものを学んでも意味がないというのは、やっぱりプロのスタンスではない。 
あんなもん古いだけや。俺には合わん、なんてド素人でも言えること。 
ちゃんと、正当評価する、このことこそがプロの見識を問われるときです。
新しいもの、今のトレンドを学ぶのも重要だが、流行のことは、興味のあることなら自然に入ってくる。そのなかで残るものを見極められるか。分析して、評価できるか。

著名人一〇〇人を書けというのは、その世界についてどこまで知っているか、どこまで本気で取り組んでいるかを試す機会だったのだ、と。
Kくんは、著名人に興味はないからテストの意味はないと言った。 
それでみんなに聞いたんです。
「じゃあお前たちは、自分のマンガを投稿したり、掲載するのに、ペンネームは書かないわけやな。名前の意味がないのだから。著者無記名で作品描くわけやな。 
もし、いや、それとこれとは違います。自分はペンネーム使います。その名前でマンガ家として生きていきます、というのはあまりに自分勝手な考えやぞ。 
読者や編集の人たちに、私は他人の名前や実績には全然興味はありません。そこに意味があるとは思えません。しかし、私のペンネームは覚えてください。私の作品は読んでくださいって、それ、許されるんか!」


まあ、中山氏の講義は実際のところもっと実践的で、そのぶん生臭いものなので(業界でどう仕事を得るか、どう生き残るか、という)、業界人ではない我々がそのまま鵜呑みにする必要もないですけれども。(詳しくはリンク先をご覧下さい。)

俳句の「プロ」というポジションが、仮に、ありうるとして。どんなものか。

俳句がうまい、それは大事。基本です。大前提。下手ではやっていけない。
ところが、野球と違って俳句は「句会では平等」で、もしかするとその日その場の句会では「素人」が「プロ」を上回ることもある。
だから、「うまい」句を、偶然作れるだけではプロにはなれない。そうじゃない。

著名人を知っている、というのは、もちろん具体例のひとつにしかすぎないし、できたからと言って意味のあることではない。

正直なところ、ふつうに俳句を十年続けていれば、「俳人一〇〇人」言うのは、おそらくたやすい。結社の「仲間」を一人ずつ数えあげていけばいいのだから。

でも、たとえば一〇〇人それぞれ代表句一句ずつ、と言われればどうか。
あるいは、「物故俳人一〇〇人」の「一〇〇句」を、そらで言えるかどうか。

正直、五七が出るけど下五が出ない・・・とか、結構苦労しそうである。

俳句について、何を、どこまで知っているか。
俳句を知るために、どれだけ時間と労力(とお金)をかけてきたか。
あなたの俳句に、あるいは鑑賞に、他の人にはないどんな魅力があるのか。

 自分は俳句についてならどんな相手にも負けない。

表現においても、鑑賞においても、相応のプライドを持って実践している人であるかどうか。

要するに、志。

中山氏に比べればずいぶん青臭いけれど、結局、そういうことではないか。


さて、あなたは俳人一〇〇人、言えますか?
 

2 件のコメント:

  1. わたなべじゅんこ2014年1月28日 13:43

    季語ビンゴって塩見君の創案じゃなかったでしたっけ?

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  2. あれ、そうなんですか? まあ、あのお二人がゲーム考えているときはお酒が入っているので、どっちがどうということはないのかも。

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