2014年12月31日水曜日

年納め


大晦日です。

今年は新しい仕事が増えたり、いろいろと雑事が増えたせいもあってblog更新が滞ってしまいました。
Twitterその他の媒体でちょろちょろ意見を出す機会があったということも原因としてありますが、一重に私の怠慢です。

これまでは大学院で「学生」という身分が長かったので比較的時間にも余裕がありましたが、これからは遅ればせながら「社会人」として、自分で時間を捻出していかなくちゃいけないのだなあ、と。
「俳句」は、飽きたらやめるつもりなのですが、まだ当分飽きそうにないし、飽きさせてもくれないらしい。
それならこちらも、やっぱり飽きない努力(工夫)をしながら、俳句をにぎやかに、楽しんでいきたい、と思います。

来年は、「俳句」関係でもいくつかお仕事をいただくことになりそうで、また報告できればと思いますけれども、どうぞ今後ともごひいきに。



で、Twitterで先日少しつぶやいた、「4S」ざっくり見取り図の話。



秋桜子/素十を対称的に見るのは俳句表現史上常識といっていいですが、誓子/青畝の対称も、調べてみたところ、すでに虚子が言っていたのですね。
不勉強でした。

阿波野青畝『万両』の序文(昭和六年三月)において、虚子は「ホトトギス俳壇」で活躍する新人として秋桜子、素十、誓子をあげたうえで誓子と青畝は「共に大阪に居を構へ、共に活躍を続けて居る点も相似て居る」と指摘しています。
青邨が「4S」と名づける以前に、虚子自身、ホトトギスを代表する作家として4人を認めていたのか、というのは、今回改めて読み直して知ったこと。

そのうえで虚子は、青畝の句を「既成の俳諧の天地に歩を留めようとするもの」、誓子の句を「キャムプを詠じ、デウスを詠じ、韃靼を詠じ、餓鬼を詠じ、甚だしきに至つては、宝塚のダンスホールを詠じて居る。而も亦その句の調子は、疎硬放漫なるかに見える」と述べています。(誓子の句にやや辛い感じがします)
一度誓子を去って青畝に帰ると、其処には誓子君の句は国境にある征虜の軍を見るが如き感じがするが、それが青畝君の句になると、俳諧王国の真中に安座して、神官行き、僧侶行き、貴人行き、野人行き、老も若きも共に行く縦横の街路井然として乱れず、而かも其、静なる水に影を映して、一塵をとゞめざる感じがする。青畝、誓子は吾が俳句界に於て面白き対立を為して居る。又相互に学ぶべき点もあると思ふ。
虚子「万両序」阿波野青畝『万両』(引用は角川書店、現代俳句大系より) 

晩年、青畝は「息白しポイ捨て御免合点だ」のような自在の境地に達し、「ペレストロイカペレストロイカ虫滋し」「綿虫を見て湾岸が憂かりけり」などのようなテレビ画面すらも「写生」するに至ります。
その自在さは、しかし誓子の「征虜の軍」が素材を拡張していったのとは全く違って、目に映るものを自然に詠み込んでいく感覚。

4Sそれぞれが長生の果てにたどり着いた境地は一語で語れるほど偏狭単純ではないものの、やはり秋桜子/素十、誓子/青畝の「4S」を極とする見取り図で、当時(大正末~昭和初期)の俳句表現を見通すことはある程度、可能なのだろうと思います。

というわけで、試験的に。




4Sに、その周辺にいた作家を数名加えてみました。

4S以前の大正主観派はあえて外していますが、配置するなら「抒情+根源」に蛇笏、鬼城。「根源+客観」に普羅、石鼎でしょうか。私自身、このあたりは勉強不足なのでわかりません。
写生といえば夜半、風生、草城らをどう配置するか。「客観+滑稽」でやや素十寄り、爽波の隣かなと思いますが、ホトトギス全体がそこに収まるとも思えません。

さらに悩ましいのは草田男。どう考えても、あの歪な、多層的世界を受け止める位置がよくわかりません。わからないまま外して、楸邨、波郷を番外に加えました。


異論はかなり多いと思いますので、コメント欄などで随時受け付けます。

いずれにしても、私は多色多様な、現代俳句の広さを愛好しています。
上図は、かえってその広さを限定してしまうかもしれませんが、図に収まらないことを実感することで広さを再認することもできるかも知れません。


本年はこれまで。
皆さま、良いお年越しをお迎え下さい。今後とも曾呂利亭雑記をご笑覧いただければ幸いです。


亭主拝

2014年12月27日土曜日

俳句Gathering

年の瀬のお忙しいなか、足元の悪いなか、ご来場くださった皆さま、ありがとうございました。
参加者名簿などを参照すると、当日は延べ50名ほどの方に参加していただいたようだ。
この数字はバトルに参加してくれた大学生俳人や審査員、登壇者をふくめた数なので純粋な入場者数ということでもないが、それでも有志イベントとしてはまずまずの入場数だと自負している。

本当にありがとうございました。

昨年まではアイドルを呼んだり、とにかく大きな「祭」を志向したものでした。それはそれで、得るものはあったと思いたいのですが、あまりにもこちらの準備が不足し、特に昨年度は、はっきり「失敗」してしまったと言っていい。
正直なところ、企画内容、予算、スタッフ、全ての面で、我々は不足していた。

今年は実行委員会のメンバーにも変更があった。趣向を変えて、できる範囲のイベントをめざして作ることにした。
代表をお願いした三木基史さんをはじめ、今年初めて関わったスタッフの皆さんは、短い準備期間でイベント趣旨を理解し、慣れない作業を十全にやってくれた。仮屋賢一氏、阿久津統子氏、堀田華絵氏、仲里栄樹氏、物販を引き受けてくれた羽田大祐氏。
また審査員の先生方にも、年末多忙のなか、長時間のイベントに力一杯ご協力いただいた。ただただ感謝である。



第一部は、6大学バトルの予選として「天狗俳諧」を行った。
準備不足でリハーサルをしていなかったため、最初はばたばたと手間取ってしまったが、後半はそれなりにうまくいったと思う。
ただ、案外出場選手たちが本気で対策してきたらしく、即興の面白さというより、チームワークで無難な作風に落ち着いてしまった、というのが正直な感想。
ゲームとして、あるいは予選試合としては、それなりにまとまってよかったが、俳諧のゲーム性という点ではいささか目的を逸した観がある。
天狗俳諧ルールや敗者救済の制度をふくめて、もう少し検討する必要がありそうだ。

第二部では、歌人の土岐友浩氏をお迎えし、中山奈々とともに短歌界の若手の活動についてうかがった。
短歌界では、この数年特に結社や総合誌のような既存の場にとどまらず、Twitter、文学フリマといった新しい「場」で同人誌や独自の企画を展開していく動きが活発だ。
当日は、土岐氏が中心となった同人誌「一角」「サンカク」や、そこから派生した「わたしの五島さん」コミカライズの話題、またTwitter上で短歌の読みに関する議論が盛り上がり「Twitterには謎の読み巧者がいる」という話題など、普段俳句界では聞けない内容が飛び交い、興味深かった。
ただ、客層としては日常的にTwitterに親しんでいる学生たちと、Twitter自体全然知らない中高年齢層とに分かれていたので、司会の不手際もあり問題意識の共有は難しかったかもしれない。反省点である。

第三部は、津川絵理子氏、小倉喜郎氏、曾根毅氏(三木氏から交代)の三氏を審査員に迎え、俳句甲子園形式のディベートを行った。
第三部に勝ち進んだのは、京大(1人は広島大学)、阪大、甲南、龍谷の4大学だったが、想像以上にディベートが活発であり、俳句甲子園の再現を見る思いだった。
しかし、逆に言うとそれは「高校生のディベート」のままだ、ということでもある。甲子園のディベートが、ある程度の完成度で公式のようなまとまりを見せている分、大学生としては別の方向性も模索してほしかったのだが、まだ難しかったようだ。
甲子園未経験の学生たちが、今後どのような批評力を発揮するかに期待したい。

当日投句大会では席題「雪だるま」で、多くの投句をいただき、小池康生氏、星野早苗氏、曾根毅氏によって選ばれた3句に景品が贈られた。
最優秀 雪だるま羽釜におこげ少しあり  平きみえ 佳作  おんなのこのゆきだるまはいるのかな  寺田心 佳作 だんだんと嘘を覚えて雪だるま   小鳥遊栄樹


主催の不手際から当日は時間が押し倒し、30分近い遅れとなってしまった。その後、学生が多かったこともあり近くの自治会館を借りて1時間程度のかるい打ち上げを行ったが、遅くなったにもかかわらず34名もの参加者があり、相互に交流の機会になったようだ。

イベントの成果については、また参加者などから意見を頂戴しながら検証していきたいと思っている。


イベントという方向で「裾野」を拡張しながら、一方で「俳句」に関わる人々は「深化」も目指さなくてはいけない。

どちらか、ではない。どちらも、だ。

それが私に可能かどうかはともかく、それに関わっていくような立場でありたいと強く願う。


年末になってから、ずんと重い手応えの句集をいくつも拝読。
  • 佐藤文香『君に目があり見開かれ』(港の人)
  • 岡田一実『境界-border-』(マルコボ.コム)
句集ではないけれど、
  • 『川柳ねじまき #1』


感想は、また折を見て。


※2014.12.28追記

2014年12月13日土曜日

プロムナード短歌2014


11/30、プロムナード短歌2014、参加してきました。

詳しいプログラムや内容は、いろいろな方のツイッターやブログなどでご確認ください。
いくつか興味深かった発言をとりあげ、ぽつぽつコメントしていくことにします。
なお、発言は当日の記憶に拠っているため、正確なものではないことをお断りしておきます。


第一部

島田修三(短歌)、佐藤文香(俳句)、なかはられいこ(川柳)の、クロスジャンルトーク。司会は荻原裕幸氏。

島田氏「俳句は映像的。川柳は批評的」

俳句は映像的。たいへんよく聞く言説ですね。
嘘ではないと思うが、しかし「映像的」だけでくくれるものでもないだろう。
それは「川柳=批評」という図式にも言えて、基調というかベースはそうかもしれない、けど。っていう。けど。

島田氏「俳句は序詞で、映像だけを詠む」「俳句の五七五に川柳をつけると短歌になる」

「俳句+川柳=短歌」は一瞬納得しますが、要するに「発句+平句」ですよね。違うかな?
先日の高橋睦郎氏による講演で出た
「五七五ですっぱり分かれるのが俳句。でも、と未練を残すのが短歌」
という補助線を引くと、わかりやすいかもしれない。「未練」という本音部分が「川柳」というとらえ方。これも、わかりやすくはあるけれど非常に図式的な説明といえる。

佐藤「俳句カードバトルは、こんなのも俳句だという句を入れている」「無記名で、誰の句かわからないものを、とりあえず鑑賞できるようになる」

佐藤氏は、最近石原ユキオ氏と考案したという「俳句カードバトル」について解説。うん、要するに「借り物句相撲」みたいなもんですね。私も実は似たようなことを考えていたので、先んじられたのと、共感と。

なかはら氏とともに、佐藤文香の立場は、俳句(川柳)の域を広げたい、広めたいという方向。したがって「最近の動向」について聞かれると、「俳壇」というヒエラルキーの外、または周辺で活動している、という答えになる。
一方で島田氏は、短歌の真ん中から俳句、川柳を見ている。そして「非常にインスパイアされ」、両方の良いところを取り込んで「短歌」にしてしまう。拡散していく方向と、周りを取り込んでしまう王道と。
パフォーマンスとして挑発されたところがあるのだろうが、議論としてはかなりベクトルが違ってしまったのは否めない。

その後、文香から俳句の句会と、川柳句会、短歌の歌会との違いについて言及があった。
あまり熟さなかったが、ジャンルの差違を際立たせるためには重要な視点だったと思う。
これは、後半の「作者と虚構」問題にも関わるので、後述する。

番外編ながら、なかはられいこ氏のblogより当日の感想を引いておく。

わたしが出たのは第一部ですが、レジュメつくるときから、なぜかジャンル論になるとはあんまり思ってなくて、途中で、あ、そうか。と思ったわけです。・・・・・・でも、なんとなく、いまさら感があったのは事実で、巷間認識されている川柳と、わたしやわたしの周りのひとたちがいま、書いている川柳の違いっていうのは、「あの場」では共有されているものだと、なぜか思い込んでいて、そう思い込んでしまったのはわたしがラエティティアという文芸メーリングリスト(加藤治郎、穂村弘、荻原裕幸の3人が立ち上げた)の記憶をひきずっていて、しかも荻原さんが司会という状況もあって、場というものを読み違えていたからかもしれません。 
・・・まさに、イベントというのは生きものだなあと思います。


第二部。
「ニューウェーブ三羽烏」、加藤治郎、穂村弘、荻原裕幸、そろい踏み。司会は斉藤斎藤氏。

話題は、短歌研究新人賞を受賞し石井僚一の作品が、父の死を悼む挽歌という体裁をとりながら実際にはフィクションだったということをきっかけに、「虚構」に関するもの。

シンポジウムというよりは、3人がそれぞれ「現在の短歌」にどう向き合っているか、という自分の立場について表明しあった場、という感じだった。
それぞれの発言はきわめて誠実でもあり興味深くもあったが、クロスして議論が深まる、という方向にはいかなかったのは、見ていてもどかしい気がした。

穂村氏は、自身が震災の翌年に鈴木博太「ハッピーアイランド」を短歌研究新人賞に推した(2012年)ことをあげ、「この作者が福島の人であってくれ。鹿児島の人であってはいけない」と祈っていたことを告白した。
そのとき、自分はこれまで、作者と作品とを切り離し、短歌の虚構性を重視した塚本邦雄を信じてきたが、「塚本を裏切っている」ことに気づき、衝撃をうけたという。

穂村氏はそのうえで、虚構かどうかを読者が見抜けるかどうかは、結局は作品の「文体」に拠っており、石井氏の作品はどう見ても「リアリズムの文体」であった、と指摘。
そのうえで、今後彼がどのような作品を発表するかわからないが、「短歌を続けるためには短歌のルールと契約したうえで、どのような文体を選択するかが今後問われてくる」といった趣旨の発言をしていた。

震災詠ということだと、ちょうど俳句のほうでも永瀬十吾氏が俳句賞を受賞しており、それについて週刊俳句誌上に否定的発言を公開されたことも記憶に新しい。

また、当blogの過去記事を探ったところ、御中虫氏の代表作「おまへの倫理崩すためなら何度でも車椅子奪ふぜ」が「作者が車椅子使用者か、近親者にいるならよいが・・・」という的外れな評をうけたことについて、言及していた。議論の方向性が違うのでここでひくのは混乱を招くが、ついでにご参照くだされば幸いである。


加藤氏は、前衛短歌の盛行のあと短歌の流れが「「私」に回帰し、一人称の文芸という部分に生命線を見いだした」という見立てを披露。
そのうえで、短歌に虚構を持ち込むことの是非だけではなく、短歌の虚構性についての情報が(作品、文体からではなく)作者からの情報開示によって区別(差別?)されてしまうことへの違和感を強調した。
石井氏の場合、①作者の情報を知らないで選考した選考委員、②授賞式で作者の虚構を知った参加者、③ツイッター等で作者について知った読者、の3種類がいた。
また受賞コメントでは明らかにされていなかったにも関わらず、北海道新聞のインタビューで虚構性が明らかになった、など(加藤氏ら短歌関係者にとっては)ルールを外れていると思われる段階的な情報開示の差別があったことを指摘した。

たしかに基本的には、作品にふれるときには読者が平等に情報を共有できる、ことが望ましいだろう。
が、それはあくまで理念的なものであり、実際には読者が手に入れられる情報には、読者自身の環境や志向によって常に差がある。
今回は、一部の関係者や研究者だけが知っている情報だったとかいうことではなく、地元新聞を通じてのみ作者の虚構がわかった、ということで「差」が見えてしまったことが特異だった。しかし本質的にはあまり大きな違いは感じられない。

ここで、先の句会と歌会の違いから、「無名性」という問題を考えてみよう。

俳句、川柳の句会は、基本的に無名性を担保する。
俳句は、選句と合評(または選評)の割合が大きい。無記名の他人の句を筆写し、味わい、選び、なぜ選んだか、選んだ選者の「評」を語り、また聞くことが重要である。
これは、互選方式でも主宰単独選方式でも、基本的には変わらない。

川柳は、多数の句のなかから一人の選者が、大量に選ぶ。選ばれた(抜かれた)句の作者は、その場で名乗りをあげ、その名乗りに独特の個性が出たりする。選評は、基本的にしない。おそらく、一読明快であることが川柳の前提であり、どの句を評価したかという選者の切り口、センスが勝負なので、くどくどと評する必要を認めないのであろう。
『バックストローク』からの流れをくむ『川柳カード』など、鑑賞・選評に力を入れているところもあるが、それでもやはり俳句よりは選評にかける情熱は薄いといえよう。

句会は、無名性を担保したところで「作品」についてやりとり可能な場である。
しかし、句会という場から降りたところで作品と向き合うとき、そこにはおのずから記名の「作者」がつきまとう。それはどのジャンルでも変わらない近代的な自我の桎梏、もっと露骨に言えば「著作権の所有者」とでもいうようなものであり、作者情報によって作品の価値が左右されることも、やはり仕方ないことではないだろうか。
壇上では、「老人は死んでください国のため」という句が話題になった。この句の作者を70代と考えるのと、30代の作者と考えるのでは、句の意味が変わってしまうだろうという。座を共有しない、出版ベースの世の中であれば作者情報の多少に差が出るのは当然であり、そのなかで読みの可動域が変化することは、それは、むしろ肯定的に評価すべきではないのか。

短歌はどうか。
第一部で島田氏は、歌会はむしろ一首を決めて批評しあうものであり、作者を隠した状態から選んだり、合評したりするものではない。ゲーム的な歌会はあまりしたことがない、とまで言い切っていた。
司会の荻原氏によれば、実際には名前を隠した状態での歌会で島田氏とやりあった経験もあるそうで、パフォーマンスというかリップサービスというか、相当の誇張があるようだが、それでも無名性のゲーム要素を排除したところに「短歌」を立ち上げようとする傾向があるようだ。


第二部において、荻原氏は終始一歩退いた風に見えた。
しかし、口語の文体が極限まで浸透したことで、これまで短歌が培ってきた文体上の「リアル」と「虚構」の境が不分明になっている、その混沌は「おもしろいことが起きると思うが、現時点でいいかわるいかわからない」「かなり変なことが起きている」という判断は、きわめて誠実だし、おもしろいとも思った。


総じて、「私」を重視しながら、口語・等身大の詩性を推し進めてきた「短歌」に対して、「私」を消すというスローガンを掲げ(客観写生)、文語旧かながいまだ多数派をしめる「俳句」は、随所に違いがあり、軽々に比較できることではないと思う。
しかし、同時代の定型詩表現としての「短歌」は、「前衛」や「私」を経て、「口語」に対してもゆたかな批評文化をはぐくんでいる。
そのことは、ただ素直にうらやましく思う。


※2014.12.14、斉藤斎藤氏の表記訂正。12.27、加筆訂正。

参考.
うたぐらし(大木はちさんのblog)