2016年4月3日日曜日


春ですね。
昨日、電車に乗っていたら近くの有名なお花見スポットがにぎわっている見て、なんだかうれしくなったので駅から降りてすこし花見してみました。

ぐるっと歩いただけですぐに帰ってしまったので、花見なのか花見客見だったのかわからない散策でしたが、いちおう記念にぱちり。

この場所、昔から桜は有名だったのですが近年むちゃくちゃな人混みになっています。出店が規制されてしまったので、皆さんばらばらにお弁当食べているだけなのですが、それにしてもにぎやか。


家に帰ってから、新学期の創作演習講義のため資料作り。

この数年で近しい人たちが執筆した、読みやすいテキストがたくさん出版されているので、いろいろと参考になります。

自分から「俳句始めたい!」という声があれば、このなかで適性合いそうなものをオススメするだけでよいわけですが、講義となるとそれだけというわけにもいかず。

私が担当するのは幸い、国文学科の専門科目なので、少人数でもあり、文芸にまったく無関心という学生はいない前提。
それでも、もともと俳句に関心があるという学生は少ないし、知識もあるわけではない。
そんな人たちに俳句を「教える」意味があるのか、と言われれば、悩みますが、私は「ある」と思う。
昨今力のない「文学」関連の講義全般にいえることですが、研究とか創作に必要なある程度の技術的なことは、単純な「指導」でできますが、基本的にその先は、私が先導者(扇動者)となって「広める」ことしかできない。

無関心で通り過ぎて行かれてしまうくらいなら、大学の講義という形式でも、立ち止まらせておもしろがらせる工夫をしたいと思っているわけです。

ただ、俳句に関しては、そもそも俳句実作者になりたい学生ではないのだから、「作り手」を養成する、指導していく必要はないと思っています。

実際私は創作演習では、添削指導の類いはほとんどしない。場合によってアドバイスは可能だけれど、アドバイス程度。聞くも聞かぬも、それは学生個人に任せている。
だから学生から期末のアンケートで「もっと技術的なことも教えてほしい」とか書かれてしまうのですが・・・。

むしろ私が「教えたい」のは、「俳句」のいろいろな幅、おもしろさ。俳句というジャンルに、どれほどバラエティがあって、楽しんでいる人たちがいるか、ということ。
作るほうは楽しめばいいけれど(その先は自分自身で行ってくれればいいけれど)、読む、知る、これは私のほうから入り口に案内したい。

その意味でいえば私の「講義」は、やはり「講義」として作っていくつもりです。



俳句ラボのほうも、2016年度募集が始まりました。


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