2016年8月28日日曜日

「五十音図(全)」 公開について

今週、Kuru-Coleお休みをいただいております。
今回のKuru-Coleは、個人のBlog企画ということで作者にも鑑賞者にもまったく無償でご協力いただいております。
そのため、特に〆切を設けることなく、出せるときに原稿返してください、という約束で
お願いしておりました。そうなると、どの原稿も帰ってこない時期というのが、やっぱりあるわけですね(^^;。

ちょっと予定していたよりも早くストックが尽きたので、ここでお休みし、またストックがたまった段階で公開したいと思います。

それまでの埋め草に、なるかどうかはわかりませんが、以前、週刊俳句 Haiku Weekly: 久留島元 五十音図(抄)として発表した多行形式連作の完全版を公開いたします。


曾呂利亭雑記: 五十音図(全)/1

曾呂利亭雑記: 五十音図(全)/2

「週刊俳句」の投稿が2010年11月なので、実に6年ごし。(怠惰なもんだ)


一部は新人賞のようなものに応募したこともあるのだけれど、箸にも棒にもかからなかったのでお蔵入り状態でした。

あまり公にしたことがない、というかその機会がないのでしてませんが、私の作句テーマのなかに「気を張らない前衛」というのがあります。

今回のKuru-Coleは、私自身が読者として好きな作家をお願いしているので、必ずしも私自身の方針と重なる作家を選んでいるわけではありません。
表w現の多様性こそ現代俳句の要だと信じているので、むしろ私と重なる作家より、私と違っているのにおもしろい作家、というのにスポットをあてたい。

と、これはプッシュアップする側、読者の意見。
さいきん、ある友人から「山本健吉気取りか!」と怒られました。(脚色有)
作家なら自分の作品でもっと表現しろ、と。他人のプッシュしてる場合か、と。
うん。
まあね。

ぶっちゃけ、俺が好きな人ってみんな俺よりすごいひとばっかりなんだけどね。

まあ、そうは言っても、たしかに「多様性」をプッシュするばかりでなく、お前のやりたい俳句はどこにあるのか、という問いは、当然ありえるし、作家を名乗るなら答えなくてはいけないと思いました。

そこで、脱力系前衛俳句。

かつて、前衛といわれた表現技法の多くは、俳句形式の先端を行く、という高らかな自負と矜持で満ちていました。その緊張感こそが魅力であったわけですが、同時に硬直化した表現は、豊穣なはずの表現域をせばめ、みずからを追い込んでしまった、ように思えます。
その「あだ花」的な美しさもまた、「前衛的」なのかもしれません。

とはいうものの。
その前衛俳句が拓いた表現域を、後世のわれわれがただ眺めているだけでは、あまりにもったいないではないですか。
伝統も前衛もない、といわれる今だからこそ、やわらかな前衛表現というものを探れないか。
ある人にとってそれは、前衛ではない、形骸化した、いわばゾンビのようなものかもしれません。
それでもかまわない。
闘争を嫌い、先人の築いた幸福を甘受し、突出した自我の表出を忌避しながら、それでも「表現」することを選んだ、先行する世代には時に「草食」にも「ゾンビ」にも見える。だからこそ自由に、先行世代ができなかった表現域までゆるゆるのびのび広がることが出来る。
それが「脱力系前衛」というスタイルだ、と、自句自壊的に申しあげたいと思います。

本作にかかわる批評、鑑賞をコメント欄などにおよせいただければ、幸いに存じます。


亭主拝。


五十音図(全)/2





「五十音図(全)」/2
 
      久留島元

墓場から
白馬あらわれ
波郷の忌


瓢箪に
雛をかくまう
昼下がり


蕗の下
震える悪魔
不老不死


偏頭痛
平行線を
辺とする


蛍こい
骨もポン酢も
放射能


満月に
真砂こぼれて
マトリョシカ


みどりの夜
みんな液晶
みて過ごす


武者処
無数無敵の
零余子飯


メリケンの
 目玉の迷路
メランコリ


毛利氏の
喪明けて
鵙の
もどき声


山を焼く
やがて館に
山羊の歌


浴衣ゆれ
ユダの所縁よ
夕まぐれ


夜明けて
吉田は吉田
呼子鳥


落花落日
楽土の
裸族


龍天に昇り
臨死の
リンカーン


ルドルフの
涙雨
瑠璃色
るいるいと


レギンスの
レイコがなんで
蓮根掘り


蠟日の
ロミオ
ロシナンテに乗って


をりとりて
をばなをもやす
をぐらやま


輪くぐりの
若くきれいな
鰐女


ん、春ね
んから始まるしりとりす




曾呂利亭雑記: 五十音図(全)/1

曾呂利亭雑記: 「五十音図(全)」 公開について


五十音図(全)/1








「五十音図(全)」 /1

      久留島 元


姉が飼う
アルカイックな
雨蛙


隕石が
五つ流れて
伊豆の海


ウミウシは
海に生まれて
浮かべない


駅の裏
狗尾草へ
円盤来


オルガンで
狼送る
大晦日


瓜人の忌
かさぶた
かゆくなりにけり


狐火と
京極杞陽
キスをする


栗ひろい
鞍馬 九度山
熊野まで


ケンケンで
蹴殺す
決斗
罌粟坊主


小鳥狩り
ころころまるめ
コロッケに


さみしくて
五月雨おこす
佐渡の神


秦始皇
 刺客 手裏剣
シクラメン


水曜日
水琴窟の
西瓜割り


正解は
石器時代の
蝉の穴


蚕豆煮
ソマリアの空
そらが・すき


立ち上がり
 猛り
田神の
祟りかな


地球にこにこ
超能力で
チューリップ


ツナ缶の
つみきでつくる
月見台


出来秋の
手紙が届く
天狗より


虎が雨
トランペットは
通り魔に


なみなみと
なンとみごとな
なめこじる


日章旗
忍者なんだか
虹のなか


沼涸れて
主に額ずく
ヌートリア


眠れぬと
葱の年輪数え
寝間


脳幹に
伸びる
野蒜や
能舞台



2016年8月21日日曜日

妙な人 -野住朋可小論-


西村麒麟

知性抜群である人、詩心がある人、コツを掴むのが早く、すぐに上達する人。何を考えているのか、何をしでかすのかわからない人。天才肌に見える人。

これらの人達は意外とよく見かけるので特別怖いと思うことは少ない。

僕がゾッとするのは、「妙な人」というタイプの俳人だ。妙な人はその存在が気になり、注目することが多い 。

「妙」とは難しく、それらしく演じると、すぐに句は異臭を放ち、目をそらしたくなる。妙は天然に限るのだ。才気を見せる何倍も、妙を見せることは難しい。

面白い人がいるから何か書いてくれと友人の久留島君に言われて、初めて野住朋可氏の俳句を拝見した。

 春休みだから飛行機見にきたの

あ、妙な人だな、この人は、と直感した。この句、別に難しいところはなく、読んだそのままの意味で、春休みだから飛行機を見に来たという句、それだけの句。どこが「妙」かと言えば、作者が楽しんでいるような気もするし、退屈しているような気もするところ、それもほのかにだ。読者の心がちょうどよくモヤモヤする。そこが「妙」。

 しじみ汁京都に長い長い晩

「長い夜」ではなく、「長い晩」を下五に選んだあたりは、理解できる。センスの良い人の選択だと思う。それだけでは推せないが、もう一押しこの句には魅力があり、「長い」の後の「長い」がそうだ。この句もまた、作者が喜んでいるのやらどうやら、曖昧なところだ。
が、もちろん、そこが良い。だからこそ京都が生きる。蜆汁で、京都で、長い夜ときたら、もう、それは駄目じゃないか。が、野住氏はのらりくらりと面白い句を詠んでみせた。

 うららかに三十品目のサラダ

は「うららかに」の選択が面白い。

 初夏のギタリストの口の半開き

「半開き」とは、それほどには好意的でない作者の視線が面白い。「それほどには」ぐらいな感じが良いのだ。

 ポスターに女ホームに冬の蝶

ポスターの女が冬の蝶を見ているような、作者がポスターと蝶を見ているような、そもそも全部嘘のような、幻のような、そんな感じが良い。

 冷麦をすする早さで過ぎる夏

さらっと読んだ時には、否定的な意味かと思ったけれど、何度か読み返すと、それも良いと思っているのかもしれないと、作者がどう思っているのか、断言はできないところが、面白い。

巧い、というより、面白い、というよりも、「妙」を一番かんじた句が次の句だ。

 数え日の塔にょんにょんと光るなり

いったい何が「にょんにょん」なのだろうか。「にょんにょん」が読者に「ん?」と思わせることが出来たとしたら、この句は成功だろう。

なんだかわかるような、わからないような、だけど気になってしまう。作者の目指した方向が、そこではないかも知れないが、それは得難い素質だ。

「妙」は素質だけれども、「スタミナ」は努力だ。余計なお世話だろうけれど、野住氏には「スタミナのある妙な人」になって欲しい。

最後に野住氏へ。

そう聞こえないかもしれませんが、「妙」とは最大限の褒め言葉です、本当に。そして別に「妙」を目指しているわけではないでしょうが、僕は勝手にそこに魅力を感じました。

 湯豆腐の豆腐以外のおおざっぱ

どうか、おおざっぱが薄まりませんように。作者の今後の作品も楽しみにしたい。

わがままで良い、わがままが良い。

Kuru-Cole 2 野住朋可

2016年8月19日金曜日

Kuru-Cole 2 野住朋可


Kuru-Coleとは?


「おおざっぱ」

野住朋可(のずみ・ともか)

 一九九二年愛媛県生まれ。関西俳句会「ふらここ」会員。

春休みだから飛行機見にきたの
うららかに三十品目のサラダ
尻乗ればどこでも椅子となる梅見
うぐいすのふるわせている四畳半
しじみ汁京都に長い長い晩
初夏のギタリストの口の半開き
緑陰の隙間の光ばかり踏む
冷麦をすする早さで過ぎる夏
水槽の中はつまらん晩夏過ぐ
雷の一筋地球脱皮する
小魚のひとつ逃げ遅れて九月
また父に言えぬことあり酔芙蓉
星月夜煙突掃除夫の不在
ハーモニカ吹いて勤労感謝の日
ポスターに女ホームに冬の蝶
大根の煮物の朝のカーディガン
数え日の塔にょんにょんと光るなり
のど飴に枯野の風をひとすくい
鼻歌は音痴でバレンタインデー
湯豆腐の豆腐以外のおおざっぱ




編者コメント

野住さんは、最近私がもっとも信頼している年少の句友である。
愛媛県に生まれた彼女は、高校時代に俳句を始めていて、俳句甲子園も予選大会には参加したらしいが、本選には進めなかった。大学で関西に来て、2013年ごろから柿衞文庫の俳句ラボに参加してくれるようになって、知り合った。だから本格的な俳句スタートは俳句ラボから、という。
現在彼女は大学を卒業し、大阪で会社員をしながら俳句活動を少しずつ広げている。関西俳句会「ふらここ」や、小池康生さんの主催する枚岡句会では学生たちより熱心に参加し、一月の休日をほとんど俳句に費やしているのではないかという勢いだ。
とにかく熱心で、そのくせ学生たちに対して「老害です」と満面の笑みで名乗るような茶目っ気もある。24歳の彼女に「老害」を名乗られると私もどうしていいかわからないが、そういう、軽やかにふてぶてしいのが彼女の魅力であろう。
彼女は、関西の一部の若手が知っているだけの、無名の存在である。だからいまはゼロ地点といえるが、無理なく生活のなかに俳句を取り込んでいるのが強みである。これからどんどん注目される作家になると思う。

そんな彼女についての小論を、私が信頼する畏友のひとり、西村麒麟さんにお願いした。野住さん自身も麒麟さんの文章のファンであるという。二人には面識がないが、二人のコラボを一番喜んでいるのは、実は編者の私自身でもある。

2016年8月14日日曜日

敗色のなかに詠う―西川火尖小論―


外山一機


一九九〇年に『漫画アクション』で連載が開始された「クレヨンしんちゃん」は、幼稚園児の「野原しんのすけ」が主人公のギャグ漫画である。しんのすけの所属する野原家は父の「ひろし」、母の「みさえ」、妹の「ひまわり」を含めた四人で構成されている。父親のひろしは三五歳で、霞が関に本社のある商社に勤め、春日部に庭付きの一戸建てを持つ男性である。妻のみさえは専業主婦であり、パートに出ている様子もないから、ひろしは自分一人の給料で四人家族を養っていることになる。
連載の始まった当時を基準に考えると、ひろしは一九五五年生まれで、一九七五年入社ということになる。野原家が東武伊勢崎線沿線の春日部に居を構えたのは、当時がバブル期で土地の地価が高騰しており、東京都から埼玉をはじめとする周辺の郊外へと人口が流出していた時代であったことを考えると、ごく普通のサラリーマンの選択であったろう。ようするに、ひろしは一九九〇年代における、とりたてて可も不可もない父親としての役割を演じている人物ということになる。
ところが、「クレヨンしんちゃん」は(漫画の連載はすでに終了しているものの)アニメが現在も継続しており、ひろしは現在においても三五歳ということになっている。そこで、現在を基準にあらためて考えてみると、ひろしは一九八一年生まれ、二〇〇一年入社ということになる。とすれば、一家四人を自分の給料のみで養い、いくら地価が下がったとはいえ埼玉に一戸建てを持ち、霞が関の商社マンである三五歳の男性、という設定の持つ意味合いはずいぶん変わってくるように思う。ひろしの経済力は「可もなく不可もなく」どころか、いまや羨望の対象となりうるだろう。
 この二〇数年間で日本の若者を取り巻く環境は大きく変化した。その変化を一九八五年生まれの山口優夢はその第一句集『残像』(邑書林、二〇一一)で次のように記している。

僕の句は故郷のどっしりとした景色も、悲惨な戦争体験も、伝統を重んじる姿勢も、芸術家の破綻した私生活もない。ただ平成不況と言われるどうにも曇り空が続くような世相の中で、特別貧しくもなく豊かでもなく、ぬくぬくと生きていたその景色があるだけだ。そんな僕の軽い言葉にどんな意味があるのか。
でも僕は、そのときそのときで何かから逃げずに戦ってきた、戦って句を作ってきたと思う。それは、何かをなつかしむような句を作ってきたのではないということだ。その自負があるから、社会に出る前の自分の句をこうして皆様の前にさらしておこうと思う。(「あとがき」)

 山口は「平成不況と言われるどうにも曇り空が続くような世相」を意識しながら、自らの言葉を「軽い言葉」だといい、しかし、それでも「そのときそのときで何かから逃げずに戦ってきた」という矜持を語っている。山口の戦いぶりは、だから、とても堂々としている。

戦争の次は花見のニュースなり
野遊びのつづきのやうに結婚す
ビルは更地に更地はビルに白日傘
ちちははの喧嘩を聞かむきりぎりす
卒業や二人で運ぶ洗濯機
わが影にアイスクリームこぼれをり

山口の戦いは不思議なくらいスマートな句として結実していく。どうして山口の句はこれほど破綻がないのだろう。どうしてみっともなくないのだろう。『残像』は戦いの痕跡をとどめているのかもしれないが、そこには敗色が決定的に欠けている。とはいえ、敗色のなかで俳句を書き続けることは、態度としても方法としてもいかにも古臭く、また困難をともなう仕事だ。実際、そのような態度や方法で書き続けた林田紀音夫が数十年前に作家としての行き詰まりを見せ、長い後退戦の後で没していったのを僕たちは知っている。だから、いまさらそんな負け戦を好むのはよほど稀有な書き手であるにちがいない。
しかしそうした稀有な書き手の一人に西川火尖がいる。

このブログも思えば十年続いているわけで、
先日8年前に作った四S占いが再び日の目をみることがあった
そういえば、「クリスマスは俳句でキメるをやってみた」を書いたのもこのころだし
俳句漫画に手を出したのもこのころだ。
このころは、無職で、定職に就くことばかりに焦っていて、
もはや何でもいいから、仕事を探していた時期だった。
おりしもリーマンショック後の不景気で、第二新卒だった火尖には
どこも雇ってくれる会社なんかなかった。
採用担当の人に、「5年後君の同世代の人間はポツポツ出世しだして、
部下を持ったり、車や家を買ったりするものもでるかもしれない。
一方君のような人間はどんどん落ちぶれ碌な仕事にはつけないだろうね」と言われて、
そうだろうなぁと納得してしまったりしていた。
今や、その彼女の言った五年後はとうに過ぎたが、半分あたり、半分はずれの生活をしている。
結局、その後彼女の予言通り、碌な仕事にはつけなかった。
現状を脱しようと精一杯足掻いた結果臨んだ公務員試験や大学職員試験は全敗。
横国大の最終面接と八王子市の三次面接は、今も悔やまれるほど酷い失敗をした。
そこから見切りをつけて、今の職場に移ったのが、果たして良い結果だったのか
少なくとも、子供もできて、ひとまず住む場所にも困ってはいないので、
あのころ定職につけなくて、焦っていた自分には、報いることができたのではないかと思う。
しかし、無職のころのブログの記事は今読んで面白いものが多く、
どれも今の自分には書けそうにない。敗色の豊かな時代だった。


一九八四年生まれの西川は、かつての林田のように戦後の日本社会のさまざまな風圧のなかに身を置きながら希望や絶望を詠うわけではない。もっとささやかで、しかしたしかにその身に受けている幸や不幸を、ひとつひとつ掬い上げるようにして詠うのである。だからそれらは決して派手ではない。しかしそれらは「敗色の豊かさ」を僕たちに教えてくれる。

真白なテキストエディタ耕しぬ
ぐしぐしと汗拭きをれば呼ばれたり
子の問に何度も虹と答へけり
螢袋つひに誰にも祈らせず
凶年や高い高いと児をあやし
冬近し無料情報誌の黄色
ボロ市や髪を離れぬ静電気
暖房車不可避の朝を走りけり

たとえば、虹を詠うときでさえ西川は「子の問に何度も虹と答へけり」というように、虹をまなざすことがない。そのまなざしは頭上ではなく、目の前にいる「子」へと―あるいは地上へと向けられている。こうした西川のありようは、どこか、本島高弓のそれを想起させる。終戦間もない一九四七年に本島は息子と同じ名の句集『幸矢』(東京太陽系社、一九五〇)を上梓したが、そこには次のような句が見られる。

山巓へ手をふればわが手の赤さ
焼原や虹にもつれる無数の手
消える虹わたしはすべもなく残る

山巓へ手をふる側にとどまった本島とはまた、虹をふり仰ぎながらも焼原を書きとめずにはいられない者の謂でもあった。本島のまなざしはどこまでも地上にある。「消える虹」の後に「すべもなく残る」「わたし」を描いたのも、その感傷的なポーズに本島の志があるのではなく、「すべもなく残る」と書くことで、そのまま、「すべもなく残る」「わたし」のその後を引き受けていくことにこそ、本島の作家としての矜持があったように思う。高柳重信による姉妹句集『蕗子』(東京太陽系社、一九五〇)に「船焼き捨てし/船長は//泳ぐかな」があるとすれば、『幸矢』には「トロを押し トロを押しゆく とほい海」がある。高柳が書くことによって海に出会えたのに対し、本島はまさに書くことによって海にたどり着けない自らを引き受けていったのである。
とはいえ、西川の句からは、一見すると林田や本島ほどの悲惨さは見られない。むしろ、そこにあるのはあたたかなユーモアであり、幸せのありようである。この違いは、あるいは、戦中・戦後の言語空間にあって俳句形式と向き合っていた本島の句に漂う緊張感と、西川の句の、良かれ悪しかれ俳句形式に依拠した自らの表現行為の倫理を疑うことのないようなふてぶてしい趣の違いに由来するものなのかもしれないが、ここでは別の観点から考えてみたい。

スパゲッティメジャー必ず小鳥来る

 スパゲッティメジャーを必要とする生活とは、決して粗雑に毎日を送るもののそれではあるまい。この句からは、ささやかながらも丁寧に毎日を過ごすために台所に立つ生活者の後姿がほの見えてくる。そして、スパゲッティメジャーで計量するその姿が、どこか祈る者のそれに似ているようにさえ見えるのは、この句に込められた「必ず小鳥来る」という言葉の強度ゆえであろう。ほとんど何の根拠もないこの断定は、それゆえに切実なものとして僕らに迫ってくる。

繰り返し繰り返し冬の川渡る

 「繰り返し」という、それ自体リフレインを表す言葉の連続からなるこの句は、たんなる徒労感の表現ではあるまい。冬の川を渡っては帰り、再び渡っては帰り来るという、帰る場所のある人間の強さをこの句に読むことはできないだろうか。さらにいえば、帰る場所があるゆえに、この繰り返しを永久に維持しようと願う人間の切ない姿を見ることはできないだろうか。本島高弓に「トロを押し トロを押しゆく とほい海」の一句があることはすでに述べた。本島は果てしなく前進する人間の悲哀と希望とを詠ったが、はたして僕らはこのような句で救われるだろうか。僕らにとってよりリアルなこととは、前進する悲しさやさびしさなどではない。あるいはまた、前進する喜びでもない。僕らはもっと緩慢で不可視的な―それゆえ周到な―絶望のなかで、それでもそれなりに生きている。たとえば僕は昨日、座り心地の悪い椅子の並ぶ安いコーヒーショップで、友人と他愛もない話を一時間ほどして別れた。これはたしかに昨日の僕の記憶だが、きっと今日の僕だってこんなものだろうし、明日の僕もきっとそうだろう。だから、この緩慢な繰り返しのなかで生きる意志こそ、僕らの切実に希求するものなのではあるまいか。
ただ、それゆえに、「冬の川」の句のもっている詩としての最も上質な部分は、あと十年後にはもしかしたらわからなくなってしまう質のものなのかもしれない。たとえば僕はこの川から東京と神奈川の境を流れる川を想起するが、とすれば、この句は郊外に居を構えて東京と神奈川を行き来する人間の、それはそれで幸福なありようを描いているように見える。西川の身の上の不運は、偶然にも、バブル崩壊後の日本社会の「絶望の国の幸福な若者たち」のリアリティをこんなふうに俳句で詠うことのできる稀有な存在としての「西川火尖」を育んだのではあるまいか。
このように日本社会に生きる困難を一身に引き受けてしまった書き手に、先述の林田紀音夫がいるが、林田はきっとこんなふうに人間の生をフラットに詠むことはなかっただろう。その意味でも西川の新しさは際立っている。また、少し視点を変えるならば、かつて加藤郁乎は「冬の波冬の波止場に来て返す」と詠んだが、そのように詠んだ加藤は、決して西川の「冬の川」のような句を詠むことのできない書き手であったろう。それは、当時の加藤が現在の日本社会のリアリティを知るはずもなかったということ、そして加藤の書き手としての志向が別の高みをまなざしていたということにその要因があるように思われる。逆に言えば、西川の「冬の川」の句は加藤のこの高名句の射程距離がどのようなものであるのかを示唆するものではなかろうか。
 ところで、高野ムツオが震災詠の作家ではないのと同様、社会詠に「西川火尖」の本質を見るのはやや違うような気もする。西川の句の魅力はこれだけではない。

端折りつつ話してみても蝶狂ふ
まだ朝の蟻を摘んでをりたるに
  すずなすずしろお目当ては男の子

 西川の句にはどこか不思議な雰囲気の漂うことがある。しかし、一見不思議なこれらの句も、その実どこか悲しみを帯びている。僕は僕自身を語ることで「僕」を形づくるが、丁寧に話しても端折っても蝶の狂う「僕」の生とはなんとももどかしい。あるいはまた、蟻を摘む者がせきたてられるような朝のなんと不条理なことか。そして「すずなすずしろ」と歌うように男の子へと駆けていく足音は、軽やかな破滅の足音を暗示してもいよう。
 いずれにせよ、これらの句から浮かびあがるのは、世界とうまくコネクトできない人間の姿である。それはときにコミカルに、ときにシリアスに描出される。                                                                                 
昼寝せむ丈夫な川を思ひつつ
鶏頭花すぐに答が出て迷ふ
月光に骨の掠れるまで棲まふ
綿虫はイヤホンの音漏れが好き
枯園の四隅投光器が定む

そうした西川の句のなかでも次の二句はとりわけ幸せそうな表情をしている。

花時の水をくぐらす茹卵
花散らしゆく胎教の合唱団 

 ピクニックに持参する茹卵だろうか。手を切るような冷たさもおさまり、やや温んだ花時の水のなかで、卵の白い肌はいかにも美しく、またその殻を剥く指もまたいかにも美しい。そしてまた、「花散らしゆく」の句において詠われた破れかぶれの幸福の、なんと美しいことだろう。「冬の川」を「繰り返し繰り返し」渡る僕たちの生を言祝ぐ詩とは、たとえばこんなたたずまいをしているものなのではあるまいか。



2016年8月12日金曜日

Kuru-Cole 1 西川火尖




西川火尖(にしかわ・かせん)

 一九八四年京都市生まれ。「炎環」同人。石寒太に師事。

真白なテキストエディタ耕しぬ
花時の水をくぐらす茹卵
花散らしゆく胎教の合唱団
端折りつつ話してみても蝶狂ふ
まだ朝の蟻を摘んでをりたるに
ぐしぐしと汗拭きをれば呼ばれたり
子の問に何度も虹と答へけり
昼寝せむ丈夫な川を思ひつつ
螢袋つひに誰にも祈らせず
鶏頭花すぐに答が出て迷ふ
スパゲッティメジャー必ず小鳥来る
凶年や高い高いと児をあやし
月光に骨の掠れるまで棲まふ
冬近し無料情報誌の黄色
綿虫はイヤホンの音漏れが好き
ボロ市や髪を離れぬ静電気
繰り返し繰り返し冬の川渡る
すずなすずしろお目当ては男の子
枯園の四隅投光器が定む
暖房車不可避の朝を走りけり





編者コメント

火尖さんは同い年である。
同じ時期に京都の大学に通っていたのに、残念ながら関西では知り合う機会がなかった。
blog「そして俳句の振れ幅」を知って、文章や、時折公開されるマンガ(これが超絶に下手なのだが、たいへんおもしろいので一読をおすすめする)を楽しみにしていた。
blogにぽつぽつと掲載される句や批評が私とはまったく違う観点で、同い年と言う事もあり、いつも気になる存在であった。
しばらく就職、結婚、育児と私生活に追われ俳句から遠ざかった時期もあったようだが、最近では実にのびのびと俳句活動を展開している。ちなみに「次の元号で最も重要な俳人」とは、次のTweetを典拠としている。

実生活に軸足を置く火尖さんの作風は、言葉の世界に遊ぶ私とはまったく違う。そして、句も批評も、疑いなく力がある。
数年前「Kuru-Cole」1を編んだときに、どうしても加わって欲しくて連絡をとり、それ以来、主にネットを通じて交流している。実際に会ったのはまだ数回しかない。いつか句会や勉強会で思う存分その違いについて話し合いたいと思っているが、残念ながらまだその機会を得ていない。火尖さん、いつか、よろしくお願いします。

さて火尖さんの小論は、私が最も尊敬する書き手の一人である外山一機氏に依頼した。掲載は日曜日になる。お楽しみに。



2016年8月10日水曜日

Kuru-Cole します。


以前、ある俳句の研究会で、いま注目の若手を紹介してほしいと言われたことがありました。そこで私は、同世代と考えられるぎりぎりの年齢、1973年~1993年生まれの作家からピックアップした18名の方に作品を寄せていただき、私家版のアンソロジーを作って報告に臨んだのでありました。
そのアンソロジーは研究会のみで利用したので世間には公開しませんでしたが、そのとき私はアンソロジーを「Kuru-Cole」と名づけました。

もちろんそれは亭主・曾呂利の本名にかけて、ということもありますが、それよりも「今」よりも「これから来る」作家たち、という意味を籠めたのでした。
それが『俳コレ』(邑書林、2011)の「俳句のこれから」であり「はい、これ」と手渡せる一書、というコンセプトに共感しつつ、また別の視点を提供したいという編者(私)の意図でありました。

さて、その研究会発表からもすでに3年ほどが経過しました。

『新撰21』(邑書林、2009)にはじまった若手アンソロジーの企画も、『超新撰21』、『俳コレ』のあと、現在はやや凪の状態にあるといえます。
それぞれのアンソロジーに入集した作家たちが各自の属するグループで地歩を固めつつあるなか、遅ればせながら私も『関西俳句なう』(本阿弥書店、2015)で「アンソロじる」ことが叶いました。
そうしたなかで今、あえて既存4冊のアンソロジーに入集していない作家を中心として、新たに「これから来る」若手の作家を紹介したい、と思うに至りました。

本来は今年の文学フリマにでも出店しようかと思っていたのですが、亭主の怠慢から準備が充分に整わず、結果的にblogでの公開を決めました。
ただ、ネット公開ということで分量や時期に制限がないことをふまえ、次のような公開形式をとることにしました。
  • 注目作家の20句とともに、すぐれた評者による小論を掲載する。
  • 作家、小論の掲載は、随時継続的に行うこととする。
  • 原則として、金曜日に作品掲載、日曜に小論を掲載する(諸般の事情で掲載が遅れることもある)
  • 小論執筆者に対しては、分量、〆切、執筆スタイルなどいっさい規約を設けない。評者それぞれが自由なスタイルで自由に論じてもらうことにする。
以上です。

かつての「Kuru-Cole」は作品20句と作家のプロフィール、それに編者のコメントがあるだけの簡素なものでした。研究会発表の補助資料だったので、それだけでも充分だったのです。

しかし今回は、作家にも増して超豪華な小論執筆陣を、お願いしています。

作家のセレクトは、完全に私の独断。ただ私が「今」以上に「これから」注目される作家だ、と思い定めた作家に作品20句を依頼したものであり、掲載作はそれに応じて快く提供いただいたものだ、ということです。
また評者についても、ただ私が「この人!」と思い定めた書き手に、突然ご連絡を差し上げ、何の報酬もないのにご快諾いただいたものです。
ご協力いただいた、また今後ご協力いただける方に、本当に感謝いたしております。

それでは、

どれだけの方がご覧いただいているかわからないブログではありますが、どうぞ「Kuru-Cole」、これから来る作家の見本市、お楽しみいただければ幸いです。

第一弾は、今週金曜日。

いきなり「次の元号で最も重要な俳人」が登場します。


亭主拝