2017年7月29日土曜日

句会の選び方


おもにツイッター上で、「歌会こわい」論争というものがある(あった)そうで。
経緯については、ツイッターのことだから追いかける・全容を把握するのが面倒である。
いったん収まったようだったのだが、大辻隆弘氏が朝日新聞の時評欄でとりあげたことから、しかも若干、問題意識にずれがあったことから、再燃していささか話題になっていた。以下のblogでまとまっているので、そちらをご参照いただきたい。

歌会論争:目がでかい
歌会論争(大辻隆弘氏の時評):目がでかい
大辻隆弘さんの朝日新聞の短歌時評「歌会こわい」に関するツイートまとめ :存在しない何かへの憧れl
(そもそも「論争」の当事者である「えりうに」氏のblog記事は、現在見られない模様)

別段、そんなホットな話題を枕にもってくる必要もないのであるが、さいきん、ネット上で知り合った方に「句会のありかた」についていろいろ質問されることがあり、句会と歌会とはずいぶん雰囲気が違うのかなあと思った。
私は、歌会というものにきちんと参加したことがないので、歌会のことはよくわからない。聞くところでは、歌会は句会よりも、評の時間がながく、また、とりあげない歌、票のはいらない歌についても議論するのが常であるという。句会の場合は、票のはいらない句については合評しないことが多いと思う。
とはいえ、句会も、千差万別、主催者・司会によって、進行も雰囲気もまったく違うことがほとんどである。指導句会や、勉強会的性格が強ければ、全句をひらいて、ひとつひとつ丁寧に添削、指導がおこなわれる場合もあるだろう。
おそらく、歌会も、それぞれに個性があるのだろう。私が聞いているのは主に学生歌会の話なので、一般的な歌会とも、またすこし違うのかもしれない。

私の周囲では、俳句が好きな人で「句会がきらい」な人は少ない。
むしろ、俳句よりも句会が好き、という人のほうが、多い印象がある。
もちろん、知らない他人と同席するのが苦手だとか、そもそも外に出るのがおっくうだとか、そもそも句会にあまり重きを置かないとか、句会に対する思い入れはさまざまである。句会に参加しないタイプの作家は存在するが、「句会嫌い」を明言する人は、少ないのではないだろうか。
小林恭二『俳句という遊び』(岩波書店)などを読むと、それもずっとそうだったわけではなく、小林著が出る以前は、句会といえば結社の指導句会が主流だったというような調子で書いている。
同じく小林の『実用青春俳句講座』などでは、小林自身が学生句会でおおいに楽しんでいる様子が描かれているし、それ以前に句会をやっていなかったわけではないだろう。

俳句史的な話をすれば、伝統的な句会は発句を提出しあう「句合わせ」(合評があまりない)、選者による指導がある「月次句会」などがおこなわれたが、明治24年ごろに伊藤松宇らが互選形式をとりいれ、正岡子規らが仲間同士で実践していった。
しかし、結社による大規模な句会が増えてくると互選で合評しあうことが難しくなり、選者を固定して、選者による指導・コメントだけを求める形式が主流となって、戦後をむかえた。互選は同格の「仲間」感覚がなければ進行しにくいから、結社ではなく学生句会や、一部の鍛錬句会などで行われていたようである。それが、小林著や、別派で坪内稔典ら句会を重視する論調が強くなり、句会が再評価されたという流れではないかと思う。

くりかえすが句会は、それぞれ主催者、運営者によって進行も雰囲気も目的も違う。定義としては「複数の人が、句を出し合って鑑賞・評価しあう場」という程度でいいと思うが、ここに「選者・先生による指導」を加えるかどうかは各人の判断となる。また「相互の鍛錬を目的とする」とするか、「俳句を共同で創造していく場」とするか、など、重点の置き方でずいぶんイメージは変わるだろう。

関連リンク:《作者主義/読者主義/いいね主義》by 斉藤斎藤 : 俳句的日常
句会は楽屋あるいはワークショップと捉えるので(句会は発表の場じゃないよ)、技術論にもなり、代替案・選択肢もときとして提示する。作者主義に近づく。 
一方、連作・句集は、楽屋ではない。すでに舞台だから、悦楽・愉楽する気満々で臨む。楽しめない句は心に残さず捨て去り、愉しめる句については、その瞬間瞬間、悦楽・愉楽に身を任せ、ときに悦楽・愉楽の謎に思いをいたらせたりする  


先に「句会の選び方」について相談されたときに返答したメモが手元にあったので、加筆修正して、「句会の選び方マニュアル」を考えてみた。(短詩型界隈のTwitterユーザーなら推測できるかもしれないので明かしておくと、この相手というのは「みやさと」@paststranger さんである)
メールの文章に加筆したので、かえって読みにくいかもしれない。
もし余力があれば、箇条書きにするなり、チャート式に「Aという場合なら→①」みたいな形でまとめて、句会案内がまとめられればいいな、と思うが、たぶん余力ないので誰か作ってくれるとありがたい。

また、念のため言っておくと、この「句会の選び方」は、あくまで私個人の印象と経験にもとづくものなので、間違いや誤解をうむような点があれば、ご連絡、ご指摘いただければ幸いである。
結社句会は、オープンで誰でも参加できるものと、結社会員しか参加できないものがあります。
おおまかに言うとホームページ等で告知しているものは外部の方にも開いている可能性が高いですが、これも程度があるので確認したほうがよいです。
会場や進行の都合があるので、事前に参加したいと幹事役の連絡先に相談するのが大人のマナーだろうと思います。兼題がある場合もあるので、ルールなども確認したほうがよいですね。
また、特に結社句会などの場合は、参加(見学)はできるけど後日入会するの前提だよね?というところも多いです。
どこの結社でも若手は大事にしてくれますが、合わないところに入ったら、人間関係など苦労されると思いますので、ご注意ください。
結社句会の場合は、基本的には指導者(選者)がいて、ある程度は主宰のめざす「いい俳句」が共有されていますし、参加者はそれを目指しています。 
そのなかで、先生以外でも、グループの古参の意見が尊重されたりしますから、添削や指導が入ることが普通だと思います。
先生に指導されたい人たちの集まりで、ひとりだけ議論をしようと息巻いても空回りしてしまいますし、それは「目的が違う」としか言えません。
しかし、結社句会のなかでも地方支部などで、ふだんは特定の選者(先生)を置かず、互選で自由に討論しあう、という句会も存在します。また、あとから句会に出た句を選者(先生)に送って、指導コメントをいただく、という形も多いです。
まあ、結社句会の場合は、内情を知っている人に紹介してもらうか、連れて行ってもらうのがベターだと思います。
あるいは、文化講座・カルチャースクールなどで、結社主宰の方が先生をしている場合、受講生も結局おなじ結社の人たちばかりで、結社の支部句会のようになっている、ということも多いです。
この場合、結社じたいに入らずにカルチャーとして(ビジネスライクに)おつきあいできるので、「この先生の結社興味あるけど、どんな感じかな?」という場合は、講座から入ってみるというのは、よいと思います。
あと、これはたぶん多くの若手もわかっていないのですが、結社と同人誌の違いも、すこし意識されるといいと思います。
同人誌ならいいのか、というと、議論するより仲間だけでまったりしたい、というグループもあると思いますし、同人誌といっても指導格の方がきっちりと指導される、という場合もあるでしょう。同人誌のほうが、バラエティはゆたかだと思います。

句会は、それぞれ考え方が違うので、厳密にはひとつずつ確かめるしかありません。
気に入った句会に出会って、そこでずっと研鑽を積まれる方もいますし、同じ結社・グループの句会を、毎月たくさん参加する、というタイプの方もいます。
あるいは気に入った仲間と気の置けない会話をしながらしたいよ、ということで少人数句会にとどまる方も、もちろんいます。
私の属している「船団」は基本的にどこでもオープンだと思います。他結社の人も出入りするし、初心者も歓迎です。指導も基本的にないので、典型的な互選の同人誌スタイルだと思います。
HPに各句会の予定あり。船団:各地の句会

以上、ご参考まで。